過去のことは水に流せない

 気候風土のあまりにも大きな違いも、私を圧倒した。彼らの多くが生きた砂漠、歴史的に彼らの祖先伝来の感性を作った砂漠は、もともと人間の生を許容しないところである。そこに僅かな水があると、その水は自分たちの部族のメンバーとその家畜を養うに足りるだけの量しかないのが普通であった。オアシスの権利に対する厳しさを日本人は知らない。

 遊牧民たちが、気儘(きまま)に放牧を続けて、今日ひょんなところでこんなところにオアシスを見つけたから、今日はここで泊まろう、というような感じのウィスキー会社のコマーシャルを見たことがあって、いくらコマーシャルにせよ、こういうものが放置されているから、アラブについても日本人の多くが判断を誤るのだろうと思った記憶がある。オアシスの利権は、彼らが命を的に守ってきたものなのである。他部族が入ってきたら、実力で追い払わなければならない。だから、闘争は彼らの歴史的な世界の中で日常茶飯事であった。

「過去のことは水に流して……」という台詞も、アラブでは通らないこともおかしかった。多くの遊牧民は、過去を流せるような、一年中水の流れている川などを見たこともなく暮らしている。だから水に流すとはどういうことか、実感がない。日本人の神も仏も複数だから、「捨てる神あれば、拾う神あり」という、優しさがいい加減さかわからないようなものに対する合意もあるが、一神教の神は一人だから、ずっと覚えていて裁くのである。

 私は幾つかの極めてアラブ的な光景を思い出す。もう18年近く前、エジプトのシナイ半島へ行った時のことである。私たちの乗ったバスはシナイ山の麓で給油して帰る予定であった。そこにガソリン・スタンドがあると地図には書いてあったからである。しかし行ってみると、そのような場所はなくなっていることがわかった。しかしそのままでは、バスはとうてい最初のガソリン・スタンドまで数百キロを戻ることはできないのである。

 あたりは不機嫌な岩漠(がんばく)と土漠(どばく)と猛々しいほどの青い空だけである。私たちは仕方なく、軍隊が道路の舗装工事をしている基地に行った。何とかしてガソリンを分けてもらおうというのである。幸い私たちのグループには一人のエジプト人と、二人のアラビア語を喋る日本人がいた。その人たちが交渉に行き、やがて彼らは少しむずかしい、しかし安堵(あんど)がほの見えないでもない表情で戻ってきた。

 どうやらガソリンを分けてもらえることになったらしい。私たちは、口々に「ありがとう」を繰り返して基地を出た。

 門を出てしばらく行った時、私はたまらなくなって尋ねた。

「あのガソリン、いくらで譲ってもらえました?」
「当ててみてください」

 仲間の一人はにやにや笑っている。