滑らかさや喉越しが
常識の豆腐で硬さを追求

 このような池田氏の精神は、TOFU BAR開発においても同様に発揮された。「絹と木綿の違いしかわからなかった」というほど豆腐に関しては門外漢だった池田氏だが、アメリカ視察を機に、それまでの慣習からは考えられない「硬い豆腐」の開発を進めることになる。

「アメリカのスーパーでは硬さごとに豆腐が陳列されていました。向こうでは硬い豆腐は焼いたり揚げたりし、また、軟らかい豆腐はスムージーなどに混ぜて食べていることを知りました。一方、日本での食べ方は冷ややっこか、汁物や鍋に入れるくらいでマンネリ化していますし、硬さもほぼ同じ。容器から出して食べるのもちょっとだけ煩わしいですよね。しかも、日本では豆腐を嫌いな人はいないけど、好んで食べている人も少なく、業界全体が斜陽化していたんです。そのなかで、アメリカの豆腐を見て、新しい豆腐の形を提案できそうだと思い、硬い豆腐の開発を始めました」

 しかし、アサヒコも含め、当時の国内豆腐メーカーの力点は、滑らかさや喉越しをいかに磨くかに置かれていた。硬さの追求とは真逆のため、当然池田氏の提案はのど飴を企画した時と同様、周囲からは奇異の目で見られる。

「『お前、バカか?』『豆腐を冒涜(ぼうとく)するんじゃない』みたいな空気はありましたよ(笑)。でも、私は硬い豆腐は、そういうトラディショナルな豆腐の定義を変えられると思ったんです。そこで研究室で開発スタッフと二人で、硬い豆腐作りを始めました」

 そうして、豆乳の濃度やにがりの量、混ぜ方を何通りも試し、1年後にようやくプロトタイプの硬い豆腐が完成。それをセブン-イレブンに持ち込んだところ、同社はその可能性を見抜いた。セブン-イレブンは、サラダチキンのように手軽に食べられる高タンパク質商品として開発することを池田氏に提案したという。

「セブン-イレブンさんへの提案を機に社内でも風向きが変わりました。そこからはタンパク質の含有量を2桁の10gにするにはどうするか、おいしい味付けにするにはどうするか、液ダレしないパッケージは何がいいかなどみんなが協力してくれるようになったんです。そして、セブン-イレブンさんへの提案から1年後に、現在のTOFU BARが完成しました」

 その結果、冒頭のように5000万本突破確実というヒット商品になった。池田氏はさらなる野望をこう語る。

「目指すは世界です。全世界にTOFU BARを流通させたいし、ゆくゆくは改良して宇宙食にもしたいですね。私はTOFU BARは“豆腐業界のウォークマン”だと思っています。個人が音楽を外に持ち運ぶというウォークマンが革命的だったように、TOFU BARも従来は家で食べていた豆腐を外に持ち運べる商品になったからです。世界中の人々がTOFU BARをかじりながら歩く未来を実現させたいと思っています」

 人口の増加によって、2050年には世界的なタンパク質不足が懸念されているなかで、「持続可能な植物性タンパク源としてもっと豆腐を広めていきたい」と池田氏は言う。TOFU BARの躍進は今後も続きそうだ。