反権力・腐敗なんてそっちのけ?「商売としておいしい」方を選ぶ

「戦後メディア」という言葉もあるように、今のマスコミの思想・体制がスタートしたのは「戦後からだ」とマスコミ自身は主張するが、これは真っ赤なうそである。

 戦後のマスコミの中心的な役割を果たして、現在に続く組織カルチャーをつくった人物の多くは、戦前のマスコミ人だ。例えば、日本テレビを立ち上げた正力松太郎が戦前に読売新聞を経営していたように、「公職追放」で多少のブランクがあるだけで、戦時中も戦後もプレイヤーはそれほど変わらない。「中の人」が同じなので当然、戦時中のマスコミも戦後のマスコミの組織カルチャーも基本的に同じだ。

 では、なぜマスコミはこういう事実を隠してあたかも「戦後に再出発」のようなストーリーをふれまわるのか、というと自分たちが主体的に戦争をあおって玉砕や特攻の美談をキラーコンテンツ化してメシを食っていたという「過去」と決別したいからだ。

 よくテレビ局が戦時中のドラマを制作すると、「軍部の命令で仕方なく戦争に協力させられたジャーナリスト」というのが登場する。もちろん、広い世の中なのでそういう人も確かに存在していたが、大多数のマスコミ人は、軍から命令されることなく自ら進んで日本軍を賛美して、「鬼畜米英」への憎悪をあおり、命を散らす若者たちの姿を五輪のメダリストのように持ち上げていた。

 なぜかというと、「そっちの方が商売としておいしい」からだ。

 大妻女子大学人間生活文化研究所の特別研究員・里見脩氏の「言論統制というビジネス」(新潮選書)に詳しいが、当時の新聞は確かに戦時下ということで規制もされていたが、実は国に虐げられる「被害者」ではなく、ズブズブの共生関係だった。軍部との蜜月関係の恩恵も受けて、戦争をあおり「愛国」をうたうことで新聞は飛ぶように売れて「焼け太り」していたという歴史的事実があるのだ。