「中学生が嫌いになる教科」…
第1位は「美術」!?
突然ですが、みなさんは「美術」という教科にどんな印象を持っていますか?
「美的センスがないんでしょうね。いつも成績が『2』でした」
「生きていくうえでは、役には立たない教科だと思います……」
私はこれまで国公立の中学・高校で「美術科」の教師してきたのですが、残念なことに、多くの大人からはこのような答えが返ってきます。
それにしても、「美術」への苦手意識は、どこから生まれるのでしょう?
じつのところ、これには明確な“分岐点”があるのではないか、という仮説を私は持っています。
その分岐点が「13歳」です。
次のグラフをご覧ください。これは小学生と中学生それぞれの「好きな教科」についての調査結果をもとに私が作成したグラフです(*2)。
小学校の「図工」は第3位の人気を誇っているのですが、中学校の「美術」になった途端に人気が急落しているのが見て取れます。小→中の変化に注目するなら、下落幅は全教科のなかで第1位。「美術」はなんと「最も人気をなくす教科」なのです。だとすると、「13歳前後」のタイミングで、「美術嫌いの生徒」が急増している可能性は十分に考えられそうです。
私が一教員として学校教育の実態を見てきたかぎりでは、絵を描いたりものをつくったりする「技術」と、過去に生み出された芸術作品についての「知識」に重点を置いた授業が、いまだに大半を占めています。
「絵を描く」「ものをつくる」「アート作品の知識を得る」――こうした授業スタイルは、一見するとみなさんの創造性を育んでくれそうなものですが、じつのところ、これらはかえって個人の創造性を奪っていきます。このような「技術・知識」偏重型の授業スタイルが、中学以降の「美術」に対する苦手意識の元凶ではないかというわけです。
私たちは「1枚の絵画」すらもじっくり見られない
さて、ここでもう一度、モネの《睡蓮》を思い出してください。
私はあの絵を「鑑賞してみてください」と書きました。
実際のところ、あなたが「絵を見ていた時間」と、その下の「解説文を読んでいた時間」、どちらのほうが長かったですか?
おそらく、「ほとんど解説文に目を向けていた」という人がかなり多いはずです。
あるいは、「鑑賞? なんとなく面倒だな……」と感じて、すぐにこちらに進んだ人もけっこういるかもしれません。
私自身、美大生だったころはそうでした。
美術館を訪れることは多かったにもかかわらず、それぞれの作品を見るのはせいぜい数秒。すかさず作品に添えられた題名や制作年、解説などを読んで、なんとなく納得したような気になっていました。
いま思えば、「鑑賞」のためというよりも、作品情報と実物を照らし合わせる「確認作業」のために美術館に行っていたようなものです。これでは見えるはずのものも見えませんし、感じられるはずのものも感じられません。
いかにも想像力を刺激してくれそうなアート作品を前にしても、こんな具合なのだとすれば、まさに一事が万事。「自分なりのものの見方・考え方」などとはほど遠いところで、物事の表面だけを撫でてわかった気になり、大事なことを素通りしてしまっている――そんな人が大半なのではないかと思います。
……でも、本当にそれでいいのでしょうか?
男の子が見つけた
「かえる」とはなんだったのか?
冒頭で「かえる探し」をしていただいた方にはお気の毒ですが、じつをいうと、あの作品のなかに「かえる」は描かれていません。それどころか、モネの作品群である《睡蓮》には、「かえる」が描かれたものは1枚もないのです。
では、4歳の男の子が見つけた「かえる」とは、なんだったのでしょう?
その場にいた学芸員が「えっ、どこにいるの」と聞き返すと、その男の子はこう答えたそうです。
「いま水にもぐっている」
私はこれこそが本来の意味での「アート鑑賞」なのだと考えています。その男の子は、作品名だとか解説文といった既存の情報に「正解」を見つけ出そうとはしませんでした。むしろ、「自分だけのものの見方」でその作品をとらえて、「彼なりの答え」を手に入れています。
彼の答えを聞いて、みなさんはどう感じましたか?
くだらない? 子どもじみている?
しかし、ビジネスだろうと学問だろうと人生だろうと、こうして「自分のものの見方」を持てる人こそが、結果を出したり、幸せを手にしたりしているのではないでしょうか?
じっと動かない1枚の絵画を前にしてすら「自分なりの答え」をつくれない人が、激動する複雑な現実世界のなかで、果たしてなにかを生み出したりできるでしょうか?