創業者が故人の場合、理念をどう考える?

佐宗 『理念経営2.0』では、経営者が理念を一人で考えて、トップダウンで浸透させていくようなあり方を「理念経営1.0」と呼んで、こういうやり方には無理が生じていると論じています。とはいえ、現実にはまだ「理念経営1.0」が続いている企業さんも多いですよね。とくに歴史ある大企業ほど、まさに「石碑に刻んだ言葉」をみんなが大事にし続けていたりすると思います。

たとえば松下幸之助さんは「理念経営1.0」の代表格のような人ですが、そういった強い理念をつくった創業者がすでに亡くなっていて、理念が石碑に刻まれたまま動かせなくなっている企業もありますよね。そういう企業には、どうアドバイスをしますか?

青野 僕ももともとパナソニック(当時は松下電工)の社員でしたが、入社したときにはすでに幸之助さんは亡くなっていました。でも、やっぱり理念や企業精神は社内にしっかり残っていて、その伝承のために昼の会議に「産業報国の精神」などを巻き物として読んでいたんです。理念を伝播させる方法としては、形骸化している状態だったと言っていいと思います。

そこで振り返るべき要素は、佐宗さんも『理念経営2.0』に書かれていた「ヒストリー」なんじゃないかと思いますね。僕は長らく幸之助さんの「水道哲学」という言葉にピンときていなかったんです。「電化製品を水道のように安く広げるんだ」とおっしゃっているわけですが、正直なところ「この人はなんでそんなことに魂を燃やしていたんだろう?」と思っていたんですね。

でも先日、「松下幸之助歴史館」に行って、ようやく水道哲学の真意がわかったと思いました。というのは、1950年代に松下がフィリップスと初めてつくったテレビは、いまの価値でいうと1000万円くらいだったんですよ。さすがにそれではほとんどの人が買えない。とんでもない高級品だったわけです。

だから幸之助さんは、それをいかに安くして、みんなに届けるかを考えた。ヒストリーを追うことでようやくわかりました。創業者の言葉の表面だけに騙されてはいけなくて、時代背景を含めて、なぜそういう言葉になっているのかを深く知って初めて、その理念がいまのなかに生きてくるのだろうと思います。

佐宗 たしかに、歴史を紐解いて言葉の背景を知ると、いままでとは違った意味に気づくこともありそうです。

青野 ほかにも、幸之助さんの残した言葉には「日に新た」というものがあります。これは、僕の言っている「理念の言葉を石碑に刻むな」とほぼ同じような意味だと思います。まさに「変えろ」と言っているわけですね。もう一つ、「生成発展」という言葉もあります。物事が生成して発展していくことは宇宙の真理なんだから、「変わらない」ということのほうがおかしいんだと幸之助さんはおっしゃってるわけですよ。

ですから、創業者の言葉だけが残ってしまっている企業では、ヒストリーとともにその言葉の背景を掘り起こしていくといいと思いますね。言葉の表面だけに縛られると、本当に創業者が言いたかったことを理解できません。逆に、言葉に込められた意味がちゃんと腑に落ちれば、現代の社員でも共感できる「想い」がそこから引き出せるかもしれません。

あとはもちろん、やはりいまの社長が新しい言葉をつくり出すことも重要なんだと思いますね。やっぱり、生きている人が発する言葉には、力強さがありますから。これはこれで必要ですよね。

佐宗 本当にそうですね。今日は多岐にわたるお話が伺えて、とても有意義な時間でした。青野さん、どうもありがとうございました!

青野 こちらこそ、ありがとうございました!

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