パチンコ、麻雀、女、酒、タバコを欠かさず、ほぼニート状態の父親。それに母親が共依存するという複雑な家庭環境に育った。14歳のとき、父親が自己破産して失踪。貧しい生活を支えた母親は病に倒れ、半身不随に。苦境のなか、独学で大学に合格、奨学金を得た。そして、兄・成田悠輔がくれた本をきっかけに「起業」を志した。話題の書『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)の著者・成田修造は、体当たりで起業家の道を歩むようになる。本書は起業を通じた人生の指南書で、何歳からでも組織に頼らず、副業・独立・起業でビジネスを展開するときに必須の内容。これからは会社員であっても、自分で事業をつくれると強い。その思考法とノウハウを全公開する。
※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
1日1000円で
家族の食事をやりくり
状況が変わったのなら、変化に合わせて生きていくしかありません。それに、貧しい生活の中でも楽しいことはありました。
学校帰りに食材を買うのが日課となりましたが、まさにゲーム感覚。1ヵ月に食費として使えるのは3万円だったので、1日1000円で母と自分、たまに家にいる兄の食事を用意しなくてはいけません。
ただ、高校生の僕は育ち盛りで、バスケ部にも所属していたので、できるだけ身体を大きくしたかった。
安い鶏肉でたんぱく質を補給
そこで、「いかに安く、たくさん、栄養価の高い食事ができるか」という課題を設定して、これにゲーム感覚でチャレンジすることにしたのです。
1つの解決策として、たんぱく質の補給のために、特売の鶏肉をよく買っていました。
たまに豚肉も買いましたが、より安い鶏肉が中心です。牛肉は高価ですから、高校を卒業するまで家のお金で食べたことはありませんでした。
悲しさを吹き飛ばしたこと
ある日、酢豚を食べたくなったのですが、これも鶏肉で作ってみたら、案外おいしかったことを覚えています。
ミンチ肉が欲しいときも、買うと高いので、コスパのいい鶏肉の塊を買ってきて、包丁を片手にみじん切りにしていました。ほとんどが、鶏のそぼろでした。
そんなふうに工夫を重ねながら、僕は貧しくても悲しいと思う暇もなく過ごしていたのです。
貧しくても平常心を保てたワケ
家が貧しくなったことは事実ですが、僕は他人が思うほど不幸ではありませんでした。そんなふうに思えたのは、周りの人に助けられたことも多かったからです。
友達のお母さんが家に呼んでくれてご飯を食べさせてくれ、泊めてくれたこと
学生服のお尻に穴が開いたとき、学校の先生が昔使っていた学生服をくれたこと
僕の状況を見かねた人が、何度か焼き肉を食べきれなくなるまでごちそうしてくれたこと
――そんな周囲の人の温かさがあったからこそ、僕は平常心を保てたのだと思います。あのときに手を差し伸べてくれた皆さんには、心からの感謝しかありません。
※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。