モンゴルの騎馬隊のイラスト写真はイメージです Photo:PIXTA

16世紀の初代ツァーリ・イヴァン雷帝以来、ロシアは領土拡張にひた走り、最盛期のソ連時代には全陸地の六分の一を占めた。ロシアの伝統的な征服欲が現在のプーチン大統領にも継承されているのは、ウクライナ侵略を見れば明らかだろう。では、なぜロシアは世界のどの民族にも稀なほどの領土拡張欲求を持っているのか。それには、13世紀のモンゴル人による侵略、そして過酷すぎる支配が、強烈なトラウマになっているのだという。※本稿は、『歴史で読み解く!世界情勢のきほん』(ポプラ新書)の一部を抜粋・編集したものです。

侵略者を遮るもののない大平原の悲哀
常に収奪と破壊にさらされたロシア人

「ロシアにおいて、国家という広域社会が建設されることが、人類の他の文明圏よりもはるかに遅れたという理由の一つは、強悍なアジア系遊牧民族が、東からつぎつぎにロシア平原にやってきては、わずかな農業社会の文化があるとそれを荒らしつづけた、ということがあります。文化も、他の生物学的組成と同様、しばしば遺伝します。ロシア人の成立は、外からの恐怖をのぞいて考えられない、といっていいでしょう」(司馬遼太郎『ロシアについて』)

 ロシアという国家のルーツは9世紀に現在のキーウのあたりに誕生したキエフ公国です。キエフ公国は、海から川をさかのぼって内陸に入ったスウェーデン人たちが、そこに住んでいたスラブ人の農民を支配して建国したとされています。

 キエフ公国のトップはウラジーミル大公。いまのプーチン大統領と同名です。彼は、キリスト教の一派であるギリシャ正教に改宗しました。それが、やがてロシア正教になります。

 13世紀になって、キエフ公国は、東方からモンゴル軍の襲撃を受けます。キエフ公国は滅ぼされ、そこから東のモスクワに逃げた人たちによって、ロシアの原型が形成されます。

「当時、ロシア平原には都市ができつつありました。その代表的な都市であるモスクワはモンゴル人によって破壊しつくされ、ひとびとは虐殺されつくしました。他の都市も同様でした。キエフも瓦礫の山になりました」(前同)

 その後、モンゴル人の一部はキプチャク汗国を建国して、ロシア平原に居座ります。これが、「タタールのくびき」と呼ばれる停滞時代をもたらします。

「キプチャク汗国のやりかたは、ロシア諸公国の首長を軍事力でおどし、かれらを隷従させ、その上でかれらを通じ、農民から税をしぼりあげるというもので、これにたえられずに逃げてしまう農民もあり、悲惨なものでした。首長が、すこしでも抵抗の色を見せれば、汗国から軍隊が急行するのです。軍隊はその町を焼き、破壊し、ときに住民をみなごろしにし、女だけを連れ去るというやり方をとりました」(前同)

 この「タタールのくびき」は259年の長きにわたりました。タタールとはモンゴル人のこと。「くびき(軛)」とは牛や馬を御する時に首に付ける道具。つまりロシアがモンゴルに押さえつけられていた時代という意味です。

「外敵を異様におそれるだけでなく、病的な外国への猜疑心、そして潜在的な征服欲、また火器への異常信仰、それらすべてがキプチャク汗国の支配と被支配の文化遺伝だと思えなくはないのです」(前同)