空が青い理由、彩雲と出会う方法、豪雨はなぜ起こるのか、龍の巣の正体、天使の梯子を愛でる、天気予報の裏を読む…。空は美しい。そして、ただ美しいだけではなく、私たちが気象を理解するためのヒントに満ちている。SNSフォロワー数40万人を超える人気雲研究者の荒木健太郎氏(@arakencloud)が「雲愛」に貫かれた視点から、空、雲、天気についてのはなしや、気象学という学問の面白さを紹介する『読み終えた瞬間、空が美しく見える気象のはなし』が発刊された。鎌田浩毅氏(京都大学名誉教授)「美しい空や雲の話から気象学の最先端までを面白く読ませる。数学ができない文系の人こそ読むべき凄い本である」、斉田季実治氏(気象予報士、「NHKニュースウオッチ9」で気象情報を担当)「空は「いつ」「どこ」にいても楽しむことができる最高のエンターテインメントだと教えてくれる本。あすの空が待ち遠しくなります」と絶賛されている。今回は、気象予報士佐々木恭子氏の原稿を特別に掲載します。

現代のテクノロジーでも「台風」を人工的に消すことはできない …科学的に検証して明らかになった決定的理由令和元年東日本台風の可視画像(写真:NASA)
『読み終えた瞬間、空が美しく見える気象のはなし』(荒木健太郎/ダイヤモンド社)P349より。

台風をコントロールする方法はあるのか

 日本は毎年、様々な気象災害に見舞われます。

 中でも、大きな被害をもたらす気象の一つが台風です。平成30年の台風21号では、関西国際空港で高潮により滑走路が浸水したり、暴風により倉庫が倒壊して死者が出たりなど、近畿地方を中心に甚大な被害がもたらされました。

 たった1つの台風襲来でこのような災害につながる上に、温暖化の影響で強度の強い台風が日本に接近しやすくなっている傾向もあります。今後はますます災害が激甚化する可能性があるのです。

 「だったら、日本にやってくる前に台風を消滅させることはできないのか?」そう思う方もいるかもしれません。台風を人工的に消すことは可能なのでしょうか。

ガソリンの供給を断ち、エンジンを壊す

 台風の雲は、中心に眼を持つ独特の形をしています。これは積乱雲がたくさん集まって渦を巻いたものです。

 温かい海から蒸発した多量の水蒸気が凝結し、雲の中で熱(潜熱)が放出されて台風は発達します。

 このような発達した台風を人工的に消滅させられるのか? というと、現状では難しいです。なぜなら、台風の持つエネルギーが莫大なためです。

 例えば、台風1つあたりのエネルギーを電力に換算すると、日本の年間の電力消費量の約3分の1をたった1つの台風で賄えてしまうほどです。

 しかし、台風の発達の仕組みを逆手にとって、台風をコントロールし、衰弱させる方法がいくつか考えられています。

 発達の仕組みを踏まえると、台風にとって水蒸気はガソリン、凝結によりできる雲は潜熱を放出するエンジンのようなものです。

現代のテクノロジーでも「台風」を人工的に消すことはできない …科学的に検証して明らかになった決定的理由台風は積乱雲がたくさん集まって渦を巻いたもの。温かい海から蒸発した多量の水蒸気が凝結し、雲の中で熱(潜熱)が放出されて発達する。(イラスト:森優)

 例えば、台風の眼を取り囲む最も発達した雲(壁雲)は、潜熱をたくさん放出する強いエンジンと考えることができます。

 そこで、台風周辺に多量にある水蒸気に対して、雲の発生に必要な核となる物質(ヨウ化銀など)をばら撒いたり、ドライアイスを撒いて空気を急激に冷やしたりすることで氷の粒を発生させます。こうして、壁雲の外側に別の雲を作るのです。

 すると、新たに発生する雲が水蒸気を奪い、壁雲が衰えて潜熱放出が抑えられます。

 つまり、エンジンを壊すことで台風自体も衰弱させられるということです。

 また、海水をかき混ぜて海面水温を下げれば、台風への水蒸気の補給を弱められます。これは、ガソリンの補給を断つことで台風を衰弱させるという方法です。

ハリケーンにヨウ化銀を散布する

 実は、防災を目的とした台風などの気象のコントロール(気象制御)の研究や実験は、結構な歴史があります。

 代表的な実験は、1940年代以降にアメリカで実施されたハリケーンの制御実験です。1947年に行われた「Project Cirrus(巻雲計画)」という最初の実験では、航空機からドライアイスを撒くことで、雲の形に変化が現れたと報告されています。

 また、1969年に行われたハリケーン“Debby”に対するヨウ化銀の散布実験では、台風の風速が約30%低減したといわれています。

 しかし、当時は台風自体にまだ未解明な点が多くあり、数値シミュレーションの技術も発達しておらず、これらの結果が制御に因るものか、自然に因るものかを判定することができませんでした。

 そのため、日本でも伊勢湾台風をきっかけに「台風に対する人為的調節の実施に努めなければならない」と災害対策基本法(1961年施行)に記されましたが、台風の人為的介入の効果を定量的に見積もるのは非常に難しいことがネックとなり、実際に研究や実験が行われることはありませんでした。

技術の発展とともに、いよいよ気象制御は可能になる?

 数値シミュレーションの技術が進歩した現在、台風を人為的にコントロールすることが可能かどうかを精度よく見積もることができるようになり、日本ではまさに今、台風のコントロールを実現させようという「タイフーンショット計画」というプロジェクトがあります。

 この計画では、台風による影響の軽減だけでなく、台風の莫大なエネルギーを捉えて発電する技術の開発にも着手しているそうです。

 もちろん、気象制御により影響のなかったはずの地域に被害がおよぶ可能性や、周辺国との調整、環境への影響、倫理的・社会的問題など、乗り越えるべき課題はまだたくさんあり、直ちに実現するわけではありません。

 しかし、これが実現した未来では台風により災害が軽減された上に、水やエネルギー資源を確保できるのです。

 すると、現在の防災を目的とした台風情報の提供だけではなく、「お得な台風情報」の提供が可能になったり、それを利用した新しいサービスが生まれたりするかもしれないのです。

 そう思うとわくわくせずにはいられません。

【参考文献】
・Enerdata「国内の電力消費量」
 https://yearbook.enerdata.jp/electricity/electricity-domestic-consumption-data.html
・文部科学省「【ムーンショット目標8】『2050 年までに、激甚化しつつある台風や豪雨を制御し極端風水害の脅威から解放された安全安心な社会を実現』研究開発構想」
 https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/concept8.pdf
・横浜国立大学筆保研究室「高解像度シミュレーションを用いた台風制御の考察」
 http://www.fudeyasu.ynu.ac.jp/member/thesis/2021-inagaki/index.html
・国立研究開発法人科学技術振興機構「産学官連携ジャーナル(台風科学技術研究センターとタイフーンショット計画)」
 https://www.jst.go.jp/tt/journal/journal_contents/2022/08/2208-02_article.html#refer1)
・“台風エネルギーを利用する発電船の基礎的研究”寺尾裕(2008).東海大学紀要海洋学部、 65-82.
 https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2030761765.pdf

(本原稿は、荒木健太郎著読み終えた瞬間、空が美しく見える気象のはなしの内容と関連した、ダイヤモンド・オンラインのための書き下ろしです)

佐々木恭子(ささき・きょうこ)
気象予報士。防災士。合同会社『てんコロ.』代表。
早稲田大学第一文学部卒業後、テレビ番組制作会社入社。バラエティー番組のディレクターを経て、2007年に気象予報士の資格を取得し、民間気象会社で自治体防災向けや高速道路・国道向け、企業向けの予報などを担当。現在は予報業務に加えて、気象予報士資格取得スクールなどを主催・講師を務める。監修に『奇跡の瞬間!空の絶景100選』(宝島社)など。編集協力に『すごすぎる天気の図鑑』『もっとすごすぎる天気の図鑑』『雲の超図鑑』(以上、荒木健太郎著/KADOKAWA)、『読み終えた瞬間、空が美しく見える気象のはなし』(荒木健太郎著/ダイヤモンド社)などがある。
X(Twitter):@tencorocoro
YouTube:@tencorochannel気象翻訳者。気象予報士・防災士。