帝王学を仕込まれ、口の達者な子だった私

 私は、子どもの頃、世間でもかなり変わった子どもだったようです。
 なにしろ、3歳の頃から大人を言い負かしていましたから。1を聞くと100のことが返ってくる口達者な子どもだったそうです。

 親からは商家の長子として、「帝王学」もみっちり仕込まれました。
 結果、辛抱強く、いったん決めたことについて抗うような言動もしませんでした。

 おそらく、世の中ではとても苦労をしたと見えるのかもしれませんが、私自身は、それを苦労と思ったことは一度もありません。苦労を苦労とは嘆かず、その時々をすごして問題を解決してきました。

 帝王学には自己犠牲の精神が必要です。自分の欲だけで仕事をしてはいけない。絶えず周りにいる人たちのことを考え、その人たちのために仕事をするという姿勢が肝心です。

 私は子育て中に、地元・愛知県犬山市にある区のひとつで、その長の役割を務めたこともありました。

 このときは、まだ戦後のドタバタを引きずっていたこともあり、土地等の権利関係が混乱していた状態だったのですが、辛抱強く住民の意見を聞き、調整を重ねた結果、その問題を解決することができました。

 早期教育の重要性に気づいたのも、この頃です。

 興味深いことに、同じ市内で、ある特定の地域だけ、常にとても優秀な子どもを輩出するところがあったのです。これも一種の相伝だと思います。 

 優秀な子を輩出する地というのは、もともと子どもが小さい頃からしっかりとした教育を行う土壌があるのです。

 辛抱強くひとつの問題を解決へと導き、同時に早期教育の重要性にも気づいたわけですが、それを可能にしたのは、「いまを楽しむ。ここにあるもので楽しむ」という、私の父親に言わせれば“極楽とんぼ”の性格が身についていたからでしょう。

 当時の犬山市には、社交をする場がほとんどありませんでした。

 夫が勤める京都大学霊長類研究所に赴任してきた、都会暮らしに慣れ親しんだ先生の奥さんのなかには、あまりにも退屈すぎてノイローゼ状態になる人もいたくらいでしたが、「いまを楽しむ。ここにあるもので楽しむ」という精神を持っていた私は、退屈することなく、日々その地区を歩き回りながら、その地区のためになるような問題解決に当たっていたのです。

 私は、自分自身のこの性格をとても気に入っています。それは、自分の両親が、私にさまざまな教育を施してくれたおかげです。

 だからいま、私は自分の両親に対して、とても感謝をしています。
 こうした“滅私奉公”の教えと実践はとても役に立ち、自分の人生をすばらしいものにすることができました。