師匠と共に牢獄までお供する――自他共に弟子と認められた者が指導者として代替わりしたのが、初代・牧口、第2代・戸田、第3代・池田までの「三代会長」の時代だった。

 今日学会では、会則でこれら「三代会長」を「永遠の師匠」とし、その敬称は「先生」とすると定められている。

池田氏の後任から
変わった「指導者」の意味合い

 こうして「師匠と弟子」という血脈相承によって受け継がれた学会の指導者だが、池田氏の次となる第4代の北条浩氏以降、その立場が持つ意味合いが大きく変わる。皆、池田氏の身代わりとして会長職を預かった者たちだからだ。

 日蓮正宗とのいざこざとも、後進に道を譲るために勇退したともいわれる理由から、池田氏が会長職を退き名誉会長になったため、会長職は北条氏に引き継がれた。

 だが、その北条氏は「学会の指導者」として代替わりしたわけではない。学会の指導者、師匠はあくまでも池田氏であり続けた。その証拠に、第4代・北条氏が学会員から「先生」と呼ばれることもなかった。もっとも、そう呼ぼうという声すらも出なかった。仮にそう呼んだ学会員がいたとしても、北条氏自身がそれを拒んだであろう。

 会長就任後、約2年で亡くなった北条氏の後を引き継いだ第5代・秋谷栄之助氏、現在の第6代・原田稔氏となってからも、これは同じである。ちなみに約25年の長きに渡って会長職を勤め上げた第5代・秋谷氏の学会内外でのあだ名は「雇われマダム」だ。

 事実、現役・元を問わず学会員複数の声によると、全国津々浦々にある学会の会館で録画放映される「学会本部幹部会」(通称・本幹)でも、池田氏が「学会の役職は責任職である」「幹部なんて偉くもない」と“指導”し、自らは壇上の中央上座に、ひな壇の筆頭に当時の会長だった秋谷氏が座っていたことから、地方の末端会員ですらも「あくまでも指導者は池田先生」「会長以下、幹部は火元責任者」という考え方が浸透しているという。

 第4代以降の会長は、牧口・戸田・池田の「三代会長」とは異なり、宗教法人・創価学会の責任者という位置づけで、仏法を学ぶ者としては、入会したての1年生学会員と同じという考え方だ。

 筆者自身も創価大学在学時、時折、学生部員と呼ばれる熱心な学生学会員が「会長も自分も、池田先生の弟子という一点では対等平等、同格だ」と気炎を上げる場面を見たが、これは池田氏と第4代以降の会長、学会員の関係を象徴的に表した言葉といえよう。