この戸田氏の拡大方針に沿って、さらに学会を拡大させていったのが、戸田氏の弟子で後に第3代会長となる池田大作氏だ。

 池田氏が若手幹部として実質的に学会の指揮を取り始めてから、会員数は爆発的に増えていく。戦後もとうに終わりを告げ、その後の高度経済成長による歪みが見え始めた、四日市公害に揺れた1960年、池田氏が会長に就任以降、会員数は1961年に200万世帯にまで達したという。そして1975年には750万世帯(出所:創価学会ホームページ)と、戸田氏が目標とした75万世帯の10倍にまで拡大させた。この急拡大による実績とカリスマぶり、これこそが池田氏が「学会の中興の祖」と呼ばれる所以である。

創価学会の血脈の正当性は
「師匠と弟子」だった

 宗教の世界で指導者が代替わりすることを、血脈相承と呼ぶ。学会の世界におけるこの血脈の正統性は、「師匠と弟子」に尽きる。

 牧口氏と共に逮捕された戸田氏、大阪の西成・あいりん地区にいる労働者たちに現金を配ったという疑いで選挙違反に問われた(いわゆる大阪事件、後に無罪)池田氏と、どちらも時の政府による弾圧で獄に繋がれ、それでも信念を貫き、罪に問われなかったこと――、これこそが学会の指導者における血脈の正統性と捉えられている節がある。

 学会でよく用いられる言葉の1つに「師弟不二」というものがある。これは、平たく言えば師匠と弟子はその心が一つであり、師匠と弟子が等しい境地になることをいう。

 池田氏自身の筆による次の一文を読めば、この師弟不二の意味するところが伝わってくる。

《戸田先生は、先師の三回忌に紅涙を滴らせて言われた。
 「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました」
 「その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。なんたる幸せでございましょうか」と。
 この峻厳にして崇高なる師弟の精神こそ、人生の究極であり、仏法の真髄である。
 創価学会は、この「師弟不二」の魂があるゆえに、日蓮仏法を現代に広宣流布することができたのである。》(出所:『大白蓮華』2010年5月号 特別寄稿『創価の魂 地涌誓願の誉れ』)