「池田氏の弟子」と言われて
思い当たる人物がいない理由
さて、会長就任前の若手幹部時代から、そのオーガナイザーぶりで頭角を現した池田氏だが、意外にもその弟子というと、思い当たる人物はいない。
よく学会内部で頻繁に用いられる“弟子”という言葉だが、現在ではこれは会長以下、学会員全員が「池田氏の弟子」という解釈だ。その中から誰1人後継者を絞り切れないまま、今日に至っている……というのが学会の現状だ。「もしかすると、池田氏はあえて後継者を指名せず、後継と目された者同士を競わせて組織を拡大させていったのかもしれない」という声も内部から漏れ聞こえてくるくらいだ。
池田氏直系の弟子――現在の学会内部では、これは創価大学卒業生、もしくは東京と大阪にある創価学園(創価高校、関西創価高校)の卒業生に限るという声もある。
創価大学に限ってみても、1971年の開学からすでに大勢の卒業生を輩出しているが、学会ナンバー2である理事長に就いたこともある正木正明氏、「遠い将来の会長候補」と目される人物が就く全国男子部長を経験した弓谷照彦氏が、池田氏の後継者と目された時代もあった。
学会という世界を覗き見た者ならわかるだろう。学会は、師匠と弟子、先輩と後輩といったエピソードが好きだ。とりわけ将来を嘱望され、俊秀であればあるほど、その手のエピソードが出てくる。それは牧口氏に付き従った戸田氏、戸田氏を守った池田氏に纏わる話を彷彿とさせるものがある。
正木氏、弓谷氏は、共に学会本部職員へのコースといわれる大学自治会(SU)のトップを務めた。正木氏はその自治会時代、「池田先生にご迷惑をおかけできない」「自分たちの大学を建設する」との理由から、学費値上げを学生の側から提唱したことで知られている。
弓谷氏は、創価高校から東京大学を受験し合格したものの、これを蹴って創価大学に入学した過去を持つ。折に触れて池田氏が「東京大学に合格しながら、創価大に来ちゃった子なんですよ」と目を細めたというエピソードは、創価大学に学んだ者のみならず、弓谷氏が全盛の頃を知る学会関係者なら、皆よく知る話だ。
だが、正木氏は健康上の理由から理事長職を退いた。当時学会員たちは、「急にご病気になられた」と驚いたという。弓谷氏は複数の女性との交際が週刊誌沙汰になったことから失脚。池田氏から職員が大勢集まっている場で、「ケダモノ」「病気」と罵られ、以後表舞台には出て来ない。