学会員が自ら無償で働く
AKB商法と同じビジネスモデル

 その学会をビジネスの世界に準えると、やはり大事なのは収益だ。永遠の指導者・池田大作という、すでにファンのついたブランドを捨て、新たなブランド(新たなる指導者)を立ち上げるリスクは大きい。池田氏のように、ヒト、カネを引っ張って来られるほどのタレント性を持ち合わせているかどうか、舞台裏を支える者たちの不安は尽きないだろう。

 時に芸能ビジネスにも似た宗教の世界だが、近年、その芸能の分野では作詞家・秋元康氏のプロデュースによるAKB48グループ・坂道シリーズが大成功した。それらのグループがメンバーの代替わりをうまく行うように、学会が指導者、すなわち「師匠」の代替わりで新たなファンを獲得したのは、初代・牧口、第2代・戸田、第3代・池田の時代までだった。

 ファンとは有り難いものである。タレントのファンたちは、時に無償でプロデュース側に立った手伝いを行ってくれることがある。

 同じく学会でも、学会員たちは時に無償で、全国津々浦々にある会館の場外の交通整理、各種会合の設営を行ってくれる。機関紙『聖教新聞』の拡張もそうだ。集金や配達は、元学会員によると「月額6000円」の有償ボランティアに近いものだったというが、誰一人その待遇に文句を言う学会員はいなかったという。

 学会員たちは口々にこう話す。

「いつまでも、池田先生に守られているばかりではいけないから」「池田先生の手駒として、学会の中で役立つ人になりたい」

 ここまで熱心なファンがつくタレントの代わりは、そういないだろう。これをみすみす手放す経営者は、果たしているだろうか。ビジネスではないが、宗教法人の代表者もまた同じではなかろうか。

 学会に勢いがあり、最も輝いていたのは、せいぜい1990年代半ば頃までだという声が、学会内部から漏れ聞こえてくる。学会員たちのコミュニティ化で、「外部」と呼ばれる非学会員とのコミュニケーションが取れなくなってきたからだ。

 丁度、この頃から、福子と呼ばれる学会員2世、3世の人たちが学会活動の場に増えてきた。病気や貧困で苦労したなどの体験や信仰経験があるわけでもない彼ら・彼女ら、生まれながらにして学会の世界で育った人たちは、どうしても俗世間で生きてきた人たちと互いに話が噛み合わない。「世間の常識、学会の非常識」「学会の常識、世間の非常識」ということも、しばしばだ。これが些細なトラブルとなり、学会そのものを揺るがす火種となりかねない。