「もちろん、女子教育は重要です。しかし、現状では児童の8割が男子です。アフガニスタンの国づくりの優先順位を考えれば、8割の男子児童に、まずは投資すべきです」

 正論だろう。理想は、すべての子どもに教育の機会を与えることだ。しかし、学校は、ポテトチップスのように気軽に提供できない。支援する側の価値観で優先順位を定めていくのか。それとも支援を受ける人々の価値観を重視するのか。

 2021年8月にタリバンが権力を奪取する。前政権下のアフガニスタンでは、国際社会の強い後押しで、女子教育が推進されてきた。教育を授かった女子が、ポテトチップスをもらった子どものようにならないことを願うばかりだ。

少女の告白で決まった軍事介入
ジャーナリズムの真の役割とは

 ユーゴスラビアの内戦は国際社会の関心を大いに集めた。CNNやBBCといった国際メディアが連日のように現場から報道を繰り返す。国際メディアが国連安全保障理事会の5大国に次ぐ影響力を誇ると揶揄された。それをCNN効果という。

 ところが、国際社会はソマリアでの平和強制に失敗していた。戦い続けたい当事者に力づくで平和を押しつけても、そのような平和は簡単に綻ぶ。これがソマリアでの失敗から得た国際社会の教訓だった。

 ソマリア介入にはメディアが従軍した。戦場の模様が茶の間に届けられた。ソマリアの平和のために出征した米兵が、首都モガディシュで民兵に惨殺される。何のために米兵は命を賭けているのか。米国は厭戦ムードとなる。ビル・クリントン大統領は、米軍の撤収を決定。「米国の国益とならない場所に米軍を派遣しない」という大統領令を出す。

 モガディシュのトラウマを抱えた米国は、ユーゴスラビアで内戦が勃発しても重い腰をあげない。ところがヨーロッパでは、ホロコーストの再来を許してはいけないという十字架を背負っていた。

 内戦が激化するなかで軍事介入を求める声が高まる。ボスニア・ヘルツェゴビナでは、「民族浄化」という言葉が作り出された。人々で賑わっていた市場に迫撃砲が撃ち込まれる。血だらけの市民の映像が届けられた。メディアはスナイパーに狙撃される老女や集団レイプされる女性たちを追う。

 そして、目の前で母親と姉がレイプされ殺されたという少女をカメラは映し出す。この報道が介入には消極的だった世論を参戦に導く。政治家たちはNATO軍の介入を決断した。