150名ほど集まった戦士のなかには、私の父親くらいの年齢のベテラン指揮官も混じっていた。腰の曲がった老兵が対戦車ロケットランチャーを抱えていた。痩身で歴戦の勇士にはとても見えない。しかし、ここに集まった彼らは戦争を生業としている。もちろん、内戦は苛烈だった。多くの者は、国軍兵士や警察官を殺傷した過去をもつ。だが、彼らは主張する。

「警察官なんかになりたくない。俺たちは、この土地の出身だ。戦争が終われば、村に戻って畑を耕すだけだ」

 実際に、モロ・イスラム解放戦線の戦士たちは、戦闘がない日は畑を耕し、敵襲があれば銃を手に取り戦う。半農の兵士たちだ。テロリストと呼ばれた反政府勢力の人々に共通したものがあるとすれば、自分にとって大切なものを守りたいという思いが、彼らを抵抗運動に突き動かした点だ。

テロとの闘いを止められない米国
困難でも交渉こそが解決の近道

 和平を試みるうえでの障害に、どのように交渉を始めるのかという難題がある。敵対する勢力と交渉すること自体、違法行為であることが多い。政府側が相手をテロリストと指定した場合は、テロリストと接触すること自体が、犯罪となりかねない。

 たとえば、中東和平において、イスラエルではテロ組織とされてきたパレスチナ解放機構(PLO)と接触するだけで、イスラエルの法律に抵触することになり、イスラエル当局に逮捕されてしまう恐れがあった。

 この法的な問題に加え、敵と話をすることは利敵行為と見做されたり、弱みを見せたと誤解されたりする。仲間から後ろ指をさされかねない。

 米国同時多発テロ(9・11)直後に、米国政府が、アルカイダやタリバンとの和解を試みることは難しかった。米国民は怒り、恐怖心を煽られた。くわえて、米国政府は、「テロとの闘い」を宣言した以上、テロの危険性がなくなるまで、戦い続けなくてはならなくなった。

 戦争に突き進むためには、国民を煽動しなくてはならない。米国政府は、テロリストに対する敵意を煽り、テロに対して恐怖心を植えつけた。

 そして、マスコミによって繰り返される報道は、国民の脅威認識に拍車をかける。テロに巻き込まれる可能性は、雷に打たれる確率よりも、統計的には低かったにもかかわらず、人々はテロを恐れた。

 しかし、そのことがブーメランのように跳ね返ってくる。「テロとの闘い」を止められなくなってしまったのだ。実際に、米国のアフガニスタン侵攻は20年間続き、「史上最長の戦争」と呼ばれた。