この話には後日談がある。この少女を取材した記者は、和平合意後に彼女とばったり再開する。彼女は殺されたはずの母親と姉と一緒に買い物をしていた。母親も姉もレイプされたことはないという。
「どうして嘘をついたのか」と記者は彼女に問い詰めた。英語が堪能だった彼女は、欧米メディアの前で悲惨な話をする任務を担う工作員だった。
「欧米諸国に軍事介入してほしかったのです。戦争に勝つためにしたまでです」
彼女を取材した記者は自責の念に駆られる。「真実」を報道したつもりが、戦争プロパガンダの一翼を担ってしまったのだ。もちろん、彼の報道だけでNATO軍の介入が決まったわけではない。しかし、NATO軍の空爆によって失われた命もあったはずだ。
国際メディアは欧米の視聴者に向けて報道する。英語を話す現地人がいれば、飛びつく。そして裏をとることなく偽情報を垂れ流す。これを逆手にとって紛争当事者たちは国際メディアを操る。客観報道のつもりが、戦争に加担してしまう。
このときの経験から、その記者は従来の報道姿勢に疑問をもつ。ジャーナリストの役目は真実を伝えることではない。戦争を回避することが最も重要な役割だ。ジャーナリズムは平和のためにあるべきだ。
取材で広がったテロリストとの輪
戦闘が無ければ畑を耕す半農兵士も
私は多くのテロリストたちと知己を得た。スリランカのタミルの虎を指揮したKP。イルワンディ・ユスフ、バカティア・アブドゥラ、ヌル・ジュリなど自由アチェ運動の戦士たち。東ティモールの女性戦士のベロニカ。独立後に大統領や首相を歴任するシャナナ・グスマンも、かつてはテロリストと呼ばれた。
フィリピンのミンダナオでは、モロ・イスラム解放戦線のヴォン・アルハック(ゲリラ名で本名ではない)と一緒に仕事をした。彼もかつてはフィリピン政府からテロリストと呼ばれていた。『Dr.スランプ』の則巻千兵衛にアラレちゃんの眼鏡をかけたような風貌の温厚なおじさんだ。その彼が、戦場を駆け巡っていたとは、とても思えない。
ヴォンとは独立警察委員会で膝を突きあわせて議論を重ねた。同委員会では、バンサモロ自治区における警察活動を協議した。同委員会には、カナダの騎馬警察警視、オーストラリアの元警察官と私を加えた3名の第三者専門家に、フィリピン国家警察官とモロ・イスラム解放戦線から派遣された担当者が加わる。
ヴォンの手引きでモロ・イスラム解放戦線の支配領域を訪問して、基地司令官や野戦指揮官の話を聞く。和平後は警察に加わりたいか。どのような警察が望ましいのか。