難しい状況の中で、やれることをやっているという印象である。とにかくクマ被害は死者が出ているので、当面差し迫ったその脅威をなんとかするべく、駆除が行われている状況だ。
筆者は犬猫を飼っていた経験から動物愛護の精神が養われ、クマもできることなら殺す以外の方法で解決してほしいとは思うが、悠長なことは言ってられない状況なので、「対応に当たっている現場の皆様、お疲れさまです」という気持ちである。
「駆除は反対だが、その代わり、自分や近しい人がクマに殺されても文句は言わない」と考える人は、正真正銘の「駆除反対派」を名乗るべきだと思うが、そうでない駆除反対派の人たちは、先述した感性によって「クマ=害獣」という認識が持ちにくくなっているのであろう。あるいは、クマへのかわいさのあまり、自身と利害関係のない人の命が軽く考えられている状況なのかもしれない。
筆者は諸事において客観的な立場でいたいので、クマ側に過度の肩入れはしたくないのだが、クマ側に肩入れする人の心情はもちろん理解できる。そして、筆者と同様に感じている人は多いと思われる。
クマを殺さずに済むならそれに越したことはない。人里に現れたクマにお仕置きをして山へ返す「学習放獣」という試みも行われているようだが、課題や議論の余地も残っている方法なので、過信は禁物である。
人をヒステリックに駆り立てる
“動物愛護”精神の魔
えてして、動物愛護の精神は人をヒステリックに憤慨させる。筆者自身もその自覚があるし、憤慨した人からのご意見を頂戴しやすいのも動物愛護関連のトピックの記事を書いたときである。一度ペットショップについての記事を書いたとき、「あなたの記事は読んでいないけど、タイトルだけ見るにあなたは最低のクソライターだ」といった長文のご意見を、ある人から数日に渡って頂戴したこともある。
「一度記事をお読みになってください。あなたが心配されているようなことは書いておらず、むしろ逆のことを書いています」と返信すれば、「いいえ読みません。あなたはクソです。はやくライターをやめてほしい」といった内容がもっとひどい言葉で返ってきて、こちらとしてはもうどうすることもできない、ということがあった。