相手の方が個人情報をメールに署名していたので、調べてみれば「優しい」と評判の動物病院の院長さんである。その先生が怨念を込めて、理不尽な言いがかりのごとき長文のご意見をしたためるくらい、動物愛護の精神は人のバランスを失わせるポテンシャルを秘めているのである。

「クマ駆除反対」の気持ちも、ともすればその状態に陥りやすいので、最低限の冷静さは失わないように意識していたいところである。

駆除容認派と反対派に
歩み寄りの余地はあるのか

 ただし、クマを愛護しようとする気持ち、それ自体は決して否定されるべきものではないし、「駆除以外の方法を模索していこう」という提言も世の中にとって有益である。駆除反対派の人は、これらを被害の脅威にさらされる地域に思いをめぐらせながら行っていければ、立脚点のバランスがよくなるように思う。

 そうしたこと抜きで「クマ駆除反対」を唱えるのは、もうただの無思慮・無配慮の感情論ではないか。SNSなどで発散するぶんには問題ないが、自治体に電話して延々と文句を言ったり、筆者に異次元メールを送ったりしてくるのは、八つ当たりな行為であるため、控えた方がよろしかろう。

 一方「クマ駆除容認派」の人は、反対派の人と話をするとき、感情的にならないようにすることを心がけられたい。そして、冷静に対応しても相手の理解を得るのが難しいと感じたら、どこかの段階で自衛のために馬耳東風を決め込んでも罪には当たるまい。

 動物愛護の観点から菜食主義となる人がわずかずつではあるが増えてきている昨今、「クマ駆除反対」の声も動物愛護精神の高まりの一環のように思える。動物愛護は崇高な理念だとして、ではそれを達成するためにどこまでのことを犠牲にしていいのかは議論の余地がある。菜食主義は個人の自由だが、クマの被害は公共の治安に属する問題だ。場合に応じてその線引きを明確にし、世間で共有していく必要がありそうである。