「日本を元気にするために万博を開催すべき」という
ロマン派の皆さんへ
東京2020の時に耳にタコができるほど聞いた、世界に誇る国策イベントをめぐる「激論」が再び繰り返されている。
2025年に開催予定の大阪・関西万博をめぐって、「当初予定していた予算よりも莫大にカネがかかる割に、経済効果も大してないんだから、やめたらええやん」という開催中止をのぞむ声がチラホラと上がってきた。
そのようなコスパ派に真っ向から立ちふさがるのが、プライスレスな効果があると主張する「ロマン派」ともいうべき皆さんである。
万博というものは、そもそも経済効果が目的ではなく、その時代の世界中の最新技術や未来への希望を持ち寄るものなので、ケチ臭いことは言わずに、派手にやらないと歴史に恥を残す――。そんな風に「日本国のメンツ」を守るためにも断固開催すべきだという人もいるのだ。あるいは、ご自分が小さい頃に1970年の大阪万博を訪れて、胸を躍らせた実体験に基づいて、令和の子どもたちにもこの万博で「空飛ぶ車」とかを見せて、明るい未来を見せてあげたいという人もいる。
そんなロマン派の中で、やはり圧倒的に多いのが「日本を元気にするために開催すべき」という人々だろう。
1970年の大阪万博をプロデュースした故・堺屋太一氏は、今回の万博誘致にも熱心だった。それは、1970年の万博をきっかけに日本は自動車やテレビを世界に輸出して、日本は大発展したという主張をベースにして、今度は民間主導で日本の復興を目指すために万博が必要だという考えがあったからだ。この考えに同調する人も多く、大阪万博の成否が、これからの日本の未来を左右するターニングポイントになると熱弁を振るう専門家もいらっしゃる。
もちろん、この手の公費投入型の国策イベントというのは、スポンサーやパートナーとして関わる企業・団体、個人の方たちがたくさんいらっしゃる。いろいろな皮算用や思惑が交錯するのが常なので、多種多様な意見があるのは当然だ。
というわけで、筆者も僭越ながら私見を述べさせていただこうと思う。「大阪万博で日本を元気に」と叫んでいるロマン派の皆さんには大変申し上げにくいのだが、個人的には「そういう夢みたいなことを言っているから、日本はいつまでもたっても元気にならない」と考えている。