もしも過疎化が進む村で
「盛大な祭り」をやると言い出したら…

 今、日本に元気がないのは、経済が30年も成長をしていないことが大きい。よく経済評論家の方などが「景気というのは“気”という文字が入っているように、まずは社会のムードを明るくして国民が元気になれば自然に景気も上がっていく」みたいなことを言っているが、実はこれは逆だ。

 まず「景気」を良くすることが先決だ。「景」というのは「見渡される地上のありさま」という意味なので、権力者が高いところから俯瞰(ふかん)して、経済政策で地上の「気」をよくする。そうすると、そこで暮らしている無数の人々も元気になって、社会のムードも明るくなるのだ。

 では、どうすれば「景気」が良くなるか。日本のこれまでの成長モデルから学べば、人口を増やすことだ。しかし、日本人はアメリカや欧州のように移民を受け入れることはハードルが高い。そうなるのと残る道はひとつ、「個人」が元気になるしかない。

 頭数が減っていくので、一人一人が生み出す価値をあげていくしかない。それが数年前から言われている「生産性向上」だ。これはキビキビと効率良く動いて、1人で2人分の生産をこなすというような話ではなく、「金を生み出す力をあげる」ということだ。

 これを実現するのに最も効果があるのが「賃上げ」だ。一人一人の賃金が上がっていけば、自ずと生産性もが向上する。人口が減ってもGDPはそれほど低下しない。つまり、「貧しいニッポン」にストップをかけられる。

 これが今、我々が国をあげてやらなくてはいけないことだ。そんなのっぴきならない状況で、「大阪万博で日本を元気に」なんて、のんきなことを言ってられない。

 それは過疎化が進んで限界集落になりつつある村の「祭り」を想像していただければわかりやすいだろう。

 50年前、ある村は人口が1000人ほどいて、若者も子どももたくさんいた。なので、大きなお祭りを派手にやることができた。隣町から観光客も来て大盛り上がりだった。かなり赤字が出たが、村の宣伝にもなるし、村人同士の交流にもなる。なので、いつしかこの村にとって「祭り」は、村の経済を発展させて、村人を元気にさせるためには欠かせないイベントとなった。

 しかし、月日が流れて、若者や子どもたちは都会に出て、この村は高齢者ばかりで人口も100人も切るようになった。そんな限界集落の中で、村の長老たちが言い出す。「村を元気にするために、50年前のように盛大に祭りをやろう」――。

 さて、あなたがこの村の住人だったとして、この長老たちのアイディアをどう感じるだろう。「正気ですか?」と強く反対をするという人がほとんどではないか。