家の中には父親と母親と子どもがいて「食品をありがとうございます。嬉しい」と迎え入れてくれた。これはちょっと気にかかるぞということで「ちょっと話しませんか」と家に上げてもらうと、置かれた家具はぼろぼろで、見せてくれた冷蔵庫の中には、何も入っていなかったんです。
「どうしてこういった状況になったのですか」と尋ねると、母親が「以前はこのマンションを買えるくらいの家計だったものの、夫が精神疾患になり、自分も病気で就労できない」と明かしたそうです。この状況で考えるのは、「もっと賃料や物価が安いエリアに引っ越しするのはどうか」ということだと思います。
すると「子どもに発達障害があって、今の家のそばにはようやく出合えた療育施設があるから、ここから離れることはできない」と。さらに「この子を塾に通わせることができるようになったんです」と続けてお話しになったので「その費用はどうされたんですか」と尋ねたら、「私が朝食と昼食を抜いているから」と誇らしそうに答えたのです。
これは一例ですが、困窮家庭と聞いて想像するものとは違うはずです。文京区に所有するマンションに住んでいて、子どもを塾に通わせている。「余裕がある、困窮なんかしていないよ」と捉える人もいるかもしれませんが、このケースは確実に困窮家庭です。
つまり、こういう立体的で複雑な家族像・人間像は、直接目で見て話を聞いて、初めて浮かび上がってくる。一律に、古びたアパートを訪ねればいいということではなくて、貧困というのは見えないし気付かれないという、新しい実相を、実体験を元に理解できるようになる。そういう意味では、現場に出てこそのアンラーンだと思います。
<後編につづく>