Q―俳句と初めて出会ったのはいつですか?

 2017年のことでした。母が脳卒中を起こしたのです。彼女は高齢ですが、とても恐ろしかったですし、先行きのわからない状態でした。私には、長編詩を書く力はまったくなく、そんなときにこの短い3行詩にたどり着いたのです。

 最初はもちろん、とてもつたない創作でした。でも、この5年間で私は、俳句とは小さな器で、その中に途方もなく広大な世界が入っているのだということを理解しました。俳句の最も重要な点は簡潔さです。

 そもそも、何か深刻なことやとてもうれしいこと、とても悲しいことが起きているときは、人はブレークスルーが起きて、詩を書いたり、散文を書いたり、あるいは絵を描いたりします。俳句は、これは私の生涯続く愛だと思います。

 Q―どのくらい頻繁に俳句を詠みますか?

 すぐ詠むこともありますし、1週間か2週間、あるいは数週間かかることもあります。

 俳句というものは、呼吸のように自然なプロセスなのです。眺めていると、何かの瞬間があり、それが自分の中で句になるのです。私が俳人の作品を読むとき、ときどきかれらの答えが自然と思い浮かぶことがあります。そのようなときに、俳句は呼吸のように出てくるべきなのだと実感します。

 なぜなら、偽装や作為は一切あるべきではないからです。物事は一瞬にして起こり、それについて俳句を詠みます。この俳句の中に、直接的な意味と、テキストの下に隠れた意味があるようにしなければなりません。

 ですので、1番重要なのは俳句の簡潔さで、俳句の中に物事のすべてが反映され、満たされていることです。

戦時中も続く「子ども時代」
無知の恐怖と不服従を詠む

命満つ
弾痕の隅
少年は弾筒で遊ぶ

 これは、もちろん、ウクライナでの出来事を詠んだ句です。私は戦闘員ではありません。でも私は、できることはすべてしなければならないと思っています。たとえば反戦の俳句を詠んで、自分の意見を反映させなければならないと思っています。

 なぜなら、戦争というものは常に政治によって実行されていますが、苦しんでいるのは、なぜ、どうしてそうなっているのかがわからない、普通の市民だからです。かれらはただ苦しむだけでなく、命を落としています。これはとても恐ろしいことです。

 Q―弾痕の隅にいる子どもたちを、あなたはどこかで見ましたか?それとも想像しましたか?