ですが、そうできない人たちもいて、彼らは薄い皮膚のように、すべてをとても繊細に認識しています。たとえば私の娘もこうです。この人たちは世界で起きていることをすべて、とてもダイレクトにとらえます。世界にはどれほどの悲劇が起きているでしょう?私もこういう人間です……。

 Q―俳句を書くと少し楽になりますか?

 もちろんです。俳句には、自分の考えや気持ちをこめます。でもそれは、自然や動物のことなどについて俳句を詠むなら、です……。

 こんな状況ですから、いいコンディションでいなければなりません。いい意味で、自分のことを愛さなければなりません。

 もし自分のことを愛するなら、少なくとも、病気にならないように、自分や他人の負担にならないように、自分の体をケアするでしょう。自分の体が崩壊しはじめたとたん、自分が自分とほかの人たちにとっての負担となり、ほかの人たちがあなたの面倒を見なければならなくなります。健康になり、可能な限り幸せになるなら、これをほかの人に分け与えることができます。

書影『俳句が伝える戦時下のロシア』『俳句が伝える戦時下のロシア』(現代書館)
馬場朝子 著

 実は、これは後になってから戻ってくるのです。何か見えざる手によって、自分がほかの人びとに分け与えたものは、戻ってきて自分に力を吹き込みます。ブーメランのような循環になっていて、善を与えれば、それはあなたのところに戻ってきます。

 悪の力は……、悪のほうがそもそも強いのです。私は、どうして世の中に悪がたくさんあるのかがわかりました。悪のほうが簡単だからです。善のほうがいつも難しいです。

 だから人は、「ちくしょう」と言って、それでおしまいです。言われた相手の人が傷ついたということは、その人にはどうでもいいのです。これは、永遠の善と悪の戦いです。俳句には同じくすべてがあります。善と悪の戦いについての俳句はとてもたくさんあります。