ニュースで見ました。……子どもたちは、これが恐ろしいことだということを理解していません。弾痕があり、そこに子どもたちがやってきて、かれらはさっきまでここに平らな地面があったのに、砲弾が落ちたということを理解していません。そしてかれらはその弾筒で遊んでいるのです。

 子どもたちは戦争というものがどれほどの恐怖と痛みをもたらすかわかっていないので、まだ恐ろしいものではないのです。どんな状況下でも、あらゆる子どもたちの「子ども時代」は続いています。

 一番恐ろしいのは、子どもたちがこうして座って遊んでいることです。子どもたちというのは私たちの未来です。この弾痕や弾筒はそもそもあってはなりません。ですが、現実はそうなっているのです。

 Q―特別軍事作戦が始まった最初の気持ちは?

 理解できないというものでした。それ(※編集部注/ロシアはウクライナ侵攻後に新しい法律を作り、特別軍事作戦を「戦争」と呼ぶことを禁じている。そのためか、ナタリアさんは、指示代名詞を多用する)は一体なんなのか、全然わかりませんでした。なぜなら、ウクライナは私たちとは血のつながった民族で、そもそも身内で、ウクライナの半分が私たちの親戚だといつも考えられていましたから。

国境の列
避難の少女に
サボテンの鉢

 Q―この光景をどこかでご覧になりましたか?

 これは半分想像です。というのも、国境に列ができているのを私たちは知っていますが、この句のポイントは、彼女がおもちゃではなく、サボテンの植木鉢を持ってきたということです。

 サボテンにはとげがあります。抵抗者であり、とげがあるので撫でられない、つまり、この少女は不服従の象徴です。彼女が本や鉛筆、おもちゃではなく、サボテンの鉢植えを持ってきたということは、子どもさえもあそこでまったく壊れなかったということを意味しています。

 Q―サボテンは彼女の意思の象徴ということですか?

 はい、彼女の意思です。でも、彼女だけの意思ではなく、そもそも人びとはあきらめていませんし、子どもたちもあきらめていないということを象徴しています。……たとえば、ゼラニウムや家庭用の花の植木鉢ではなく、サボテンの植木鉢なのです。彼女は自分の意見を持っていて、自分の立場があるということです。