人を動かすには「論理的な正しさ」も「情熱的な訴え」も必要ない。「認知バイアス」によって、私たちは気がつかないうちに、誰かに動かされている。人間が生得的に持っているこの心理的な傾向をビジネスや公共分野に活かそうとする動きはますます活発になっている。認知バイアスを利用した「行動経済学」について理解を深めることは、様々なリスクから自分の身を守るためにも、うまく相手を動かして目的を達成するためにも、非常に重要だ。本連載では、『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から私たちの生活を取り囲む様々な認知バイアスについて豊富な事例と科学的知見を紹介しながら、有益なアドバイスを提供する。
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有名なマーケティングのキャッチフレーズに「なぜ(WHY)から始めよ」というものがある。ここでは、それをひっくり返して考えてみたい。
誰かに何らかの行動や活動を促すとき、それは良いものや楽しいもの、意義のあるもの、有益なものなどであるはずだ。
では、なぜ相手はまだそれをしていないのか? つまり、「なぜ、この人はその行動や活動をしていないのか?」という視点から考えるのだ。
その理由は、根深い心理的な抵抗にあるのかもしれない。だが、たいていはもっと表面的なものだ。
人はいつもと違う何かをするのが面倒なのだ。
脳は、できる限り努力を避けようとする。お札をコインに両替する、領収証を送る、市役所まで自転車で行くなどの行動もそうだし、屈んだり、ちょっとつま先立ちをしたりするといった動作でさえしたくない。
アイスランドの首都レイキャビクの研究者らは、試験店舗で実験を行い、あるブランドのポテトチップスのマーケットシェアを倍増させることに成功した。これはマーケティング界では、オリンピック級にすごいことだ。
この実験で面白いのは、クリエイティブな広告キャンペーンは用いられていなかったことだ。消費者のポテトチップスへのイメージを覆すような、手の込んだ仕掛けも一切なかった。
研究者たちは単に、商品の袋を棚の下のほうから、真ん中へと移動させただけだった。
もちろん、そのほうが目につきやすく、手にも取りやすい。
固定客は自社商品の義理堅いファンだとメーカーは思っているかもしれない。
だが、忠誠心の高い客でさえ、競合商品が手に取りやすい場所にあるだけで、腰をかがめて棚の下にあるお気に入りの商品を取るほうが面倒だと思ってしまう。
脳は、いつも買っている商品をあきらめてでも、少しでも楽な行動を選ぼうとするのだ。
(本記事は『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から一部を抜粋・改変したものです)