「やはりそうだったのね。悔しい。悲しい。兼家に何と言ってやろうかしら」と思い悩んでいたところ、それから2、3日経った夜に門を叩く音がする。しかし、どうしても浮気が許せなかった道綱母は、その日、門を開けなかったのだ。
すると兼家は、すぐに例の「町の小路」に住む女のもとへ行ってしまったと『蜻蛉日記』に書かれている。ということは、またも道綱母は、従者に兼家を尾行させていたわけだ。
ともあれ、「このままですましてなるものか」と嫉妬した道綱母は、兼家に対し「嘆きつつ一人寝る夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る」(前掲書)
という歌を送った。
「嘆きながらたった独りで寝ている夜。その夜が明けるまでの時間がどんなに長くどんなにつらいものだか、あなたにはおわかりにならないでしょうね。戸を開けるのも待ちきれないでいるあなたは」(前掲書)という意味だ。
すると兼家は、「夜が明けても門が開くまで待っていようかと思ったけれど、急な使者が来合わせたのでね」(前掲書)と平然とシラを切ったのだ。しかも以後は、公然と「町の小路」の女のもとに通い始めたのである。
このため『蜻蛉日記』には、こんな浮気男を夫に選んだことを後悔する文言がずらずらと並ぶようになる。
周知のように、当時の貴族社会は一夫多妻制をとっている。ゆえに妻となった者は、夫に別の女がいることを気にしないものと私たちは思いがちだが、この日記は、そのイメージを打ち破ってくれる。夫が他の女性と関係を持つことをなじり、相手の女性を激しく憎んでいるからだ。現代の私たちと、何ら変わらない感情を持っていることがわかる。
プライドが高く、怖い女
しかも道綱母という女性は、このまま泣き寝入りをしなかった。
なんと、もう1人の妻である時姫に接触したのである。「町の小路」の女を排除するため、彼女を味方につけ共同戦線を張ろうとしたようだ。「敵の敵は味方」ということなのだろう。
道綱母は、時姫に対し、「あなたのところにも、兼家がまったく通わなくなったという噂を耳にしました」と述べ、「そこにさへかるといふなる真菰草いかなる沢にねをとどむらむ」(川村裕子訳注『新版 蜻蛉日記Ⅰ(上巻・中巻)現代語訳付き』角川ソフィア文庫)という歌を送りつけたのだ。水底に深く根を張る真菰草を兼家に喩え、「あの人はどこに根を張っているのでしょうね」という意味だ。
すると時姫は、道綱母に「確かに私のところには寄りつきません。私はてっきり、あなたのところに根を張っていると思っていました」という返歌を送達し、相憐れもうとした道綱母の期待をきっぱり拒絶したのである。当然の反応だろう。