「捨てたくない」を正論でねじ伏せたときの
ストレスフルな反応とは

 捨てられない人の多くは、日常的に「なぜ捨てないのか」「その感覚はおかしい」などと身近な人から責められていて、もっとモノを減らすべきだと頭では充分に理解しています。家族を困らせたくない、自分も協力したい、子どもの手本になりたい…など、自分の内なる声にプレッシャーをかけられている人も多いでしょう。

 それでも捨てられないのはどうしてでしょうか。

・否定されることへの反発
そこまで言われなければいけないのか?そんなに私は間違っているのか?自分なりに頑張っているのに全く認めてもらえない。どうなれば満足なのか?自分の感覚を無視して捨てて「ほら、俺の言った通りだろ?」と夫に得意顔をされるのも悔しい。思い通りになってなるものか…!

・現在の生活への不本意感
ここ数年はファストファッションの服ばかり着ているが、クローゼットに残ったおしゃれ服も諦めたくない。太ってサイズが合わない服も、痩せたら着る服として残しておきたい。下着も最近はもっぱらカップ付きキャミソール一択だが、高いお金を出して買ったたくさんの下着も着られるサイズで残してあるから捨てたくない。

・見えない未来への不安
子どもの進学や就職、家族の介護、自分の仕事…今後どうなるかわからないことばかりで、もしかしたら必要になるかもしれない。今捨てて後悔したくない。

 これって、車の運転でいえば「捨てるべきだ」のアクセルと「捨てたくない」のブレーキを交互に頻繁に踏む、もしくは両方を同時に強く踏み込むようなもの。大変なストレスがかかる上に、車は全然進みません。

 また、別のパターンとして「捨てちゃえ、捨てちゃえー!」とアクセル全開で突っ走った結果、たくさんのモノを一気に手放せたけれど、後になって「捨てなきゃよかった…」と強く悔やむ羽目になったケースもあるでしょう。

 これは、私たち片づけのプロが伴走したとて同じこと。人は一瞬で変わりません。だから、「正しさ」を物差しに自分の感覚を無理やりねじ伏せて「捨てる」に突き進むことは、あまりおすすめできないのです。