“最悪”を回避する
ツールとしての口パク

 口パクについては昔から賛否両論ある。「観客を騙している」という点では好ましくなく、「観客を落胆させずに夢を見させている」という点では好ましい――という2つの観点である。

 ただ、個人的な体験を通して話すなら、口パクはそれを「許せない」と義憤を感じる人を驚かせるほどの割合で、広く用いられているような印象である。筆者もかつては「口パクは正々堂々していなくてよろしくない」と考えていたクチだったが、紅白歌合戦の常連のある大物歌手が、「実は昔から時に口パクを用いている」と知って考えを改めた。

 その人のすさまじいプロ意識を伝える逸話がある。お腹をものすごく下している日にステージがあったので、舞台袖にバケツを用意して、曲間に踊りながら舞台袖に退場して、バケツで用を足してまたステージに復帰していた――というものである。

 この人が、おのがプロ意識に照らし合わせて口パクをやむなしとして採用する姿勢が、筆者の目には大変な説得力を伴って映ったのであった。

 口パクの捉え方は国によって違うようで、中国では罰金刑が科せられるが、米国では批判はある中で、あの歌唱力の塊のようなビヨンセや、かのマイケル・ジャクソンすら歌のクオリティを保つために口パクをすることがあった。

 最近の日本国内はというと、ダンスの激しい楽曲や声がバリバリ加工修正された楽曲が増えてきたため、「ステージで、歌のクオリティを下げずに観客に届ける」という目的で、口パクの需要は以前より増した。

 だから山崎まさよし氏も、国内もこんな情勢だし口パクを採用して秘密裏に歌の音源を流せばよかったのかもしれない。しかし、氏はおそらく「自然体を披露する」に重きを置いているアーティストなので、それを潔しとすまい。そしてそれも、アーティストのひとつの正しいあり方なのである。