東日本大震災時の「自粛」は
日本人の国民性だったのか
さて、日本などに特徴的に見られるこの「自粛」だが、21世紀に入って大きな自粛を日本は二度経験している。一つは2011年の東日本大震災、もう一つが2020年からのコロナ禍だ。
後者はまん延防止策として人との接触を極力減らす「物理的自粛」が求められた。一方前者では、節電目的の物理的な自粛もありつつ、「むやみに浮かれるのは不謹慎」という考え方から「心理的自粛」が広く共有された。
当時行われていた「心理的自粛」を、「みんながやっているから自分もやらないとまずい」という日本人の国民性に顕著に見られる「同調こそ美徳」といった傾向から起きている、悪い言い方をすれば「同調圧力的だ」と説明する人もいて、確かにそれはあったように思う。
ただ、当時は多くの人が未曾有の大災害に強いショックを受けていたため、浮かれた気分・楽しい気分になることが罪であるかのように感じて、自ずと自粛という選択肢を取った人も少なからずいただろう。
そんな中、うんざりしてもなお、そのうんざりを超えて繰り返し流されるACのテレビCMは、いき過ぎた自粛の象徴のようにも映り、違和感を覚えるとの声を集めていた。これも今思えばやるせなき国民の悲しみや不安、不満の受け皿として、サンドバック的な役割を果たしていた部分もあったのかもしれない。
ともあれ、国内でも「自粛のし過ぎ」への警鐘は鳴らされていた。経済活動・文化活動の両方を、自粛が大幅に停滞させつつあったからだ。震災発生から約1カ月経った時点で、文化庁長官が「文化活動を通じて元気を取り戻していきましょう」という声明を発表したが、震災以前の文化活動の量を日本が取り戻していくには今しばらく時間を要することになった。
それくらい、東日本大震災は国民感情に深い影を落とし、人々を「自粛」と向き合わせたのだった。