岸田首相は安倍元首相にさんざんお世話になったはずだし、銃撃事件の悲劇への同情が集まる中で参議院選挙に勝利したこともあり、安倍元首相を国葬にした。

 だが、旧統一教会をめぐっては、教団に問題があることが(教団とそれほど密接な関係をもっていたわけでない)安倍元首相への銃撃事件を正当化する理由にならないにもかかわらず、両者を十分に切り分けるような明確な姿勢を取らなかった。

 そのため、米有力誌に山上徹也容疑者が「歴史上最も成功した暗殺者」だと書かれるような状況になった。安倍元首相と旧統一教会については『日本の政治「解体新書」: 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』で詳しく書いたが、少なくとも安倍元首相本人と教団の関係はわずかで、それも清和会会長就任後が中心である。山上容疑者が恨みの標的にしたのは飛躍だった。

 ウクライナやパレスチナ問題でも、岸田首相は安倍元首相の多元外交と違い、欧米の前のめりの姿勢に追随するだけのようにみえる。また、憲法改正問題や皇位継承問題では、何もしていないわけでないのだが、「熱心に取り組んでいる」という印象を与えていないから、保守派から攻撃される。

 そのあたり、すべて、「宮沢一族の目立たない構成員」としての習い性から脱していないように見える。

 私は安倍政権時代、岸田氏がもっとも後継者にふさわしいと一貫した論陣をはっていた。ただ、それは、安倍元首相という後ろ盾がいる前提だった。その後ろ盾がいなくなった以上、岸田首相は自らリーダーシップを発揮しているとアピール出来るような政治スタイルに変えるべきだ。それが不十分なことが、「増税メガネ」「検討使」などとも批判される岸田首相のすべての不幸の始まりだ。

岸田首相の妻と
3人の子供たち

 岸田首相のファミリーを、もう少し紹介すると、妻の裕子は、岸田首相が父の文武と地元のマツダ本社を訪れたとき、副社長の秘書だったのを見初めたとされている。だが、当時のマツダ社長は私の元上司でもある古田德昌(兄は餃子の珉珉の創業者)で通産官僚としては文武の後輩だから、偶然の出会いではなかったのかもしれない。

 裕子の実家は広島県三次市の地元の資産家らしい。メソジスト系の広島女学院中・高から東京女子大を卒業ののちマツダに入社した。

 裕子は選挙区に住み子育てもしたので、岸田首相の東京での住まいは議員宿舎だけだった。もっとも、2020年に亡くなった岸田首相の母親である澄子が住んでいた自宅はあるので、岸田首相が議員宿舎に住むのはおかしいと言っていた人もいる。

 岸田首相の子どもは男子ばかり3人だ。

 長男翔太郎は、修道高校、慶応大学法学部から商社勤務を経て父の秘書となった。政務秘書官は当初、ベテラン秘書がついていたが、将来に箔をつけるために翔太郎を抜擢したところ、随行中の観光、公邸でのパーティーなどで袋だたきにあって辞任することになった。ややバランスを欠いた抜擢だっただけに、必要以上に慎重な行動が必要だった。

 次男晃史郎は、日本大学文理学部スポーツ科学部から広島のバスケットボール製造などで知られるモルテンへ入社した。三男はまだ早稲田大学の学生だ。