この原理原則はいろんな応用が可能です。

 たとえば、ステージや舞台上でガチガチに緊張してしまう場合。客席のひとりひとりの顔を視てしまうと、観客席全体はとても大きく感じられてしまいます。「あ、緊張してるな」と感じたら、観客全体よりもさらに広い範囲、会場全体を端から端まで視界に収め、そのあと観客全体を視るようにすると、全体が小さく感じられるでしょう。

 私は立場上、「緊張するんですが、どうすればいいでしょう?」と聞かれることがあるのですが、一流選手でも緊張はします。問題は「緊張してフリーズしてしまう」か、それとも「緊張しながらもなんとか動ける」か。分岐点はここです。「大きく視て小さく視る」「視る範囲を変える」も運動のひとつですから、「緊張してもできることがある」と知っておくだけでもレスキューになるのではないでしょうか。脳に入力される視覚情報が変われば、脳は動き出したことを感知しますから、フリーズ状態から脱する一歩となるでしょう。

 大番狂わせをやってのけたアスリートがインタビューなどで「意外と相手が小さく視えた」などの発言が聞かれることがありますが、これは「相応の実力があった」前提の上で、「試合中、視野狭窄に陥らなかった」「全体が視えて場を掌握できた」可能性が考えられます。また練習段階で何度も何度も「脳内で想起したイメージ上の相手」(の記憶)のほうが、実際に対峙したときの視覚情報より大きかった可能性も考えられます。

 視覚による大きい、小さい。これもまた比較の産物であります。私たちは運動というひと手間を加えることによって、大きく視ることも、小さく視ることもできる。そしてその両方のメリットを享受できるのです。