冷静に考えてみてください。デヴィ夫人の主張を報じているテレビや新聞が、取材対象者に回答まで1日も時間を与えているでしょうか。犯罪加害者の家族や被害者家族、あるいはマルチ商法らしき会社を訪ねてマイクを突きつけたり、玄関のドアホンにマイクを突きつけ無理やり回答させたりしているところをニュース番組で見た人は、たくさんいるでしょう。
新聞も取材で直撃すれば「その場での回答が当然」というのが彼らの立場です。なぜ週刊誌だけ「1日だと短い」という論調になるのか、一般人ならまだしも報道機関がこうしたニュースを流すのは、あまりに不公平としか言いようがありません。
「もっと回答までに時間をかけろ」という人は、世の中がいい人ばかりだという前提に立っています。回答にそれ以上時間を与えると、取材対象者が証言者に圧力をかけたり、証言者探しをしたり、証拠を改竄したり、隠したりする可能性がいつでもあります。そのギリギリの判断の中で生まれているのが回答期限1日という猶予で、裁判所もそれを認めています。
リスクをとらない報道に見る
テレビや新聞の意識の低下
この実態を普通の視聴者や読者が知らないのは仕方がありませんが、テレビや新聞が同様の主張をしていることに、暗然とした気持ちになります。民主主義の基本は「国民の知る権利」を守ることであり、ジャーナリズムは国民に変わってできるだけそれを代行するのが仕事です。そこに、新聞、テレビ、週刊誌の差はないはずなのですが、彼らはリスクをとらずに週刊誌ばかりがリスクをとった記事を書く、それが騒動になればテレビ番組で「公平な顔」をして、実際には芸能界に近いコメンテーターが擁護するといった状況になっています。
逆に言えば、「週刊誌が権力を持ち、著名人を社会から抹殺している」というデビィ夫人のような主張は、新聞やテレビがもっとちゃんとしたジャーナリズムの精神を発揮していれば、起こらないはずなのです。
大メディアはジャニーズのときも、少年たちが性被害に遭っているにもかかわらず沈黙していました。BBCの報道があり、被害者が記者会見して初めて謝罪をしましたが、松本人志氏の性加害問題でも、デヴィ夫人の今回の問題でも、自分たちできちんと取材をしているように思えません。「取材しないで論評だけするのなら、テレビ局に放送法に基づく電波帯を付与する必要はないのでは」とさえ、私は考えます。
しかし、刑事告訴に関しても検察は、だんだん週刊誌の現場に厳しい対応をするようになりました。たとえば原告が政治家の場合、どう見ても政治家の方に分がないので検察が見送ると、検察審査会での再審査を政治家が要求するのです。そのため、電話での問い合わせではなく、陳述書を弁護士相手に書いて提出することになり、時折は編集長が地検の取調室で調書をとられることもあります。