大きな組織、記者クラブに属しながら、そんなリスクもとらず、同じ記事を垂れ流している新聞のようなメディアこそ、名もなき民が泣き寝入りしているのを助け、著名であるからというだけで特権を持っている人間に厳しい問いを突きつける、本来の「国民の知る権利」を代行する義務を果たしていないのです。
デヴィ夫人は、いったいどんな著名人が不当に貶められて、存在を抹殺されたというのでしょうか。騒動の真偽はまだわかりませんが、もしも書かれるだけのことを本当にしていたとしたら、自業自得と言えないでしょうか。
メディア側が誣告罪で訴え
刑事告訴を取り下げさせたことも
私は自民党の大物政治家に刑事告訴されたことがあります。民事3件、刑事1件です。しかし関係者の告白で、裏とりは全部済んでいて、否定のしようがない記事なのに、本人は「告訴しているから」という理由で逃げていました。そこで、本来ジャーナリズムは記事で戦うべきですが、こういう法律の抜け穴を使う人間には法的に対応するしかないと誣告罪(人に刑事処分や懲戒処分を受けさせる目的で、虚偽の申告をする罪)で訴えました。ことさら虚偽の噂を広めて、文春の名誉を棄損したという理由です。
その政治家は国会で追及されると「法廷で答えるのでここでは控えます」と答弁しながらも、出廷を拒否していました。裁判官が業を煮やして「彼は国会で『法廷で答える』と言っているではないですか」とびっくりするような大声で、政治家側の弁護士を叱りました。弁護士は慌てて政治家と相談し、訴えの取り下げを申し出てきましたが、こちらは誣告罪を取り下げませんでした。
ただ刑事告訴や民事告訴をしただけなら、世間が忘れたころに取り下げればよかったのですが、誣告罪があるばかりに文春と和解交渉をする他なく、「以降、この記事に対して複数人がいる場所で否定することはしない」という誓約書を本人が裁判所に提出して、ようやく文春は誣告罪を取り下げました。
このように、週刊誌は色々な告訴に耐えてきました。だから対応策も知っています。技術ではなく法律を知っているのです。文春記事によれば、デヴィ夫人は代表理事を務めていた慈善団体を私物化して資金を持ち逃げし、預金通帳を返さないそうです。もしそれが事実なら、捜査機関は家宅捜索も自由にできるし、彼女が逮捕される可能性だってあります。実際、過去にそういうケースもありました。
テレビ局も、文春の裁判について議論するより、実際に松本氏なり、デビィ夫人にきちんと取材を申し込み、調べてみる努力をしたらどうでしょうか。
(元週刊文春・月刊文芸春編集長 木俣正剛)