平野神社から千本釈迦堂へ
嵐電「北野白梅町」駅から西大路通を北へ歩いて8分ほどの地に鎮座する平野神社は、奈良時代に起源を持つ古社。平城京の宮中に祀(まつ)られていた神様が、794(延暦13)年の平安京遷都に伴って現在の地に遷(うつ)され、宮中の守り神として崇められました。いにしえからの桜名所として誉れ高く、神門前に凛と立つ平野神社発祥の早咲きの桜「魁(さきがけ)」が開けば、京の都に春が到来するといわれています。今年は平野神社の魁桜もいよいよつぼみが膨らんで、間もなく開花を迎えそうです。
平野神社と桜の縁をつないだのは、『光る君へ』で注目を集めた登場人物なのですが、誰かお分かりでしょうか?
大河ドラマではエキセントリックな役柄で視聴者に大きなインパクトを与えた、あの花山天皇なのです。平安京の大極殿から平野神社までは距離にして2km強、牛車なら40分ほどでしょうか。後胤(こういん)繁栄を祈りたかった花山天皇が、平野神社へ行幸して臨時の勅祭で手植えして以来、平野神社は桜の名所となりました。
応仁の乱の影響で一時荒廃したものの、江戸後期には、京都ガイドブックの元祖『都名所図会』にもここの桜が描かれたほど、王道をゆく桜の名所です。境内には60種400本の桜が植栽され、3月中旬の早咲きから、遅咲きでは5月上旬まで、実に1カ月半もの間、花見が楽しめます。
神紋も桜、おみくじやお守りといった授与品も桜モチーフが多く、境内は桜尽くし。飲食の露店が並ぶ有料の桜苑で、降り注ぐ陽光の下、桜を愛(め)でながら飲む一杯は格別のおいしさです。
平野神社から北野天満宮を経て東へ10分ほど歩けば、大報恩寺(千本釈迦堂)にたどり着きます。開創の義空上人は、奥州藤原氏(藤原道長の流れをくむ藤原北家の支流)が最盛期であった頃の当主・藤原秀衡の孫に当たる僧侶です。国宝の本堂は、応仁の乱の戦禍をも免れ、1227(安貞元)年の創建当時の姿をとどめる、洛中最古の建築物です。
本堂建立に際しては、切ないエピソードが。棟梁の長井飛騨守高次が親柱のうち1本を短く切り落としてしまうという大失態を犯すのですが、妻の阿亀(おかめ)が機転を利かせて夫をフォローし、本堂は無事完成しました。しかし、夫の名誉を守るためと、阿亀は自ら命を絶ってしまったのです。阿亀を偲(しの)んで植えられた本堂前の「阿亀桜」は、地面に付きそうなほどに伸びた細枝に花が咲き満ち、仰ぎ見れば満天の星が降り注ぐかのようです。
京都検定では毎年のように「桜」に関する問題が出ています(かっこ内は出題回と級)。平安神宮(1回2級、5回3級)では近衛桜、京都御所(10回3級)ではベニシダレ。定番の桜をぜひ現地で実際に見てください。