京都御所でやんごとなき桜を愛でる
京都御所は、平安京の造営から東京遷都に至るまでの1000年以上にわたり、天皇が住み、政事を行った都の要。京都御所の外苑は、江戸時代の終わりまで公家屋敷が軒を連ねていましたが、現在は、緑豊かな憩いの公園「京都御苑」として親しまれています。
御苑の北西に位置する一帯は、五摂家の一つ近衛家の桜木御殿が立っていた場所です。近衛家は、藤原道長の子孫に当たる藤原北家の嫡流(正系)であり、道長の日記『御堂関白記』(国宝)を受け継ぐ由緒ある家柄です。
3月下旬になると、この近衛邸跡に咲くイトザクラ(糸桜)*が京都御苑に春の幕開けを告げます。この枝垂桜の大木はおよそ60本。薄紅色の花が無数にしだれ咲くさまは優美そのもので、都の桜を語るにふさわしい桜どころです。今年はすでに一部で開花が見られました。
ここで豆知識を少々。桜といえば、菊とともに日本の国花ともいえるほど古くから愛されてきた花ですが、奈良時代に編まれた『万葉集』では、梅に関する和歌が約130首、桜が約40首詠われたのに対し、平安時代に編まれた『古今集』では、梅はわずか約20首。桜が約140首と逆転しており、京都が桜の都といわれるゆえんの起源といえそうです。隋や唐など中国の影響を受けた時代から、遣唐使の廃止以降、華やかな国風文化へ移ろった歴史を、詠まれた花の歌からもうかがい知ることができます。
さて、近衛邸跡から石薬師御門をくぐって北へ15分ほどの場所に山門を構えるのは、洛中法華二十一カ本山の一つ、日蓮宗の本満寺です。関白・近衛道嗣の長男である日秀が、室町時代の1410(応永17)年に創建。堺を経て現在地へ移転したのち、第105代後奈良天皇の勅願寺となり、徳川吉宗の病気平癒を祈願した1751(宝暦元)年以降は、徳川家の祈願所となって隆盛を極めました。
境内のシダレザクラは、名桜として知られる円山公園のシンボル「祇園しだれ桜」の姉妹樹で、樹齢100年近く。見事な枝ぶりと可憐(かれん)な花々の対比は、思わず息をのむ美しさです。開門直後や閉門直前に訪れれば、桜を独り占めできる可能性も期待できそうです。
本満寺を出て南東方面へ8分ほど歩くと、賀茂川と高野川が交わって鴨川となる合流地点「鴨川デルタ」に着きます。帰路に活用できる京阪鴨東線「出町柳」駅もすぐそば。高野川を縁取るソメイヨシノの例年の見頃は4月上旬ですが、ちらほらと咲き始める気の早い桜に出合えるかもしれません。
*「イトザクラ(糸桜)」は「シダレザクラ(枝垂桜)」の別称
NHK大河ドラマ『光る君へ』 二条城 嵐電(京福電鉄のページ) 平野神社 都名所図会(国書データベース) 北野天満宮 大報恩寺(千本釈迦堂) 御堂関白記(国書データベース) 本満寺 円山公園 京阪鴨東線「出町柳」駅