もはや「自転車が乗れる」ことを疑えない
このように、仮説→試行→歓喜という自発的な体験を通して理解した自転車の乗りかたは、もはや一生疑う必要のない真理として血肉となることでしょう。
逆に言えば、あなたはもはや「あなたは自転車が乗れる」ということを疑えません。
みずからの五感・知性・意識をフル活用し、みずから努力してこの世界から見つけ出した真理を疑うことは、自分自身を疑い否定することになってしまいますから。
自発的に学んだことは、一生否定できないほどに深く信じる。
実はゲームも、同じ体験を設計しています。
自転車の練習と同様に、ゲームで遊ぶプレイヤーも、自発的な仮説→試行→歓喜という体験を通して、ゲームの遊び方をプレイヤーに直感させているんですね。
一連の体験を通してプレイヤーに情報を伝える
直感のデザイン
さて。ここまでのお話をまとめましょう。
一連の体験を通してプレイヤーに情報を伝える……そんな体験のデザインを「直感のデザイン」とよぶことにしましょう。
仮 説 「○○するのかな?」と相手に仮説を立てさせる
試 行 「○○してみよう」と思わせ、実際に行動で確かめさせる
歓 喜 「○○という自分の予想が当たった!」とよろこばせる
直感のデザインの成果は、プレイヤーが自身の力で直感的に理解するという体験そのものですが、もうひとつ重要な成果があります。
直感のデザインをひととおり体験すると、プレイヤーは最終的に歓喜することになります。
要は、よろこんでうれしい気持ちになったわけですが……ここで質問です。
プレイヤーは、あるゲームをやったらうれしい気持ちになりました。
そんな気持ちにさせてくれたゲームを、プレイヤーはどう評価するでしょう?
「このゲーム、○○○○○!」