(1)まず必要な当事者意識を持つべし。
持たない者の末路は憐れである

 あらゆるときに、時代が変化しつつあるサイン、予兆は多くのところで示されています。もっとあからさまなケースでは、社会制度自体ががらりと変わることもあります。明治維新後は、平民も苗字を持つことができ、過去武士しか乗れなかった馬に乗ることができるようになりました。また、国際法により海外と交易し、日本国内では自由独立という方針が国民に示されました。

 社会情勢や時代の変化にも関わらず、自分には関係ないと考えて意識も行動もまったく変えない人たちが存在します。しかし、当事者意識を持たないと(当たり前ですが)自分が問題に突き当たっていることに気づきません。すると問題解決への行動もうまれず、結果としてこのような人は最後に予想もしない現実に衝突し、泣くことになるのです。

 大抵の場合、変化の予兆は多くの場所で目撃されており、何度も指摘されたことです。しかし当事者意識を持たない人にとっては、現実の変化で手痛い失敗を自己体験するまで「自分には関係のないこと」になっているだけなのです。

 例えば、平成24年度の大学卒業生内定率が文部科学省から、このように発表されています。リーマンショック以降低下を続けた内定率は、数値としては持ち直しているのですが、実際に就活をしている大学生からは悲惨な声が聞こえているそうです。

 大学全入時代(入学定員より希望者が少ない)と言われてきた現在、大学生であるという資格の価値が大幅に低下していること、同時に企業がグローバル世界でビジネスに勝つ必要性から、人材ニーズを変化させていることはすでに何度も指摘されています。

 実際、大企業は留学生を含めた外国人採用枠を広げています。逆に以前と同じような大学生活を送り、最新の企業ニーズにマッチしていない学生には、関心を抱くことがなくなったことが、学生が数値を超える就職氷河期を感じている理由ではないでしょうか。

 一方で、筆者が昨年ニューヨークで出会った21歳の日本人男子学生は、大手商社志望のため1年生から単位を早く取得し、英語留学を終えたあと、ポルトガル語をマスターするために、ブラジルへの留学を計画しているところでした。なぜブラジル留学が必要かと聞けば、英語しか話せないと入社後の赴任希望を出す際に低成長の先進国しか書けないから選択肢が狭くなるので、と言っていました(ご存じの方も多いと思いますが、ポルトガル語は世界第7位の話者数を持ちます)。

 この男子学生は一つのケースに過ぎませんが、今起こっている変化の当事者意識を持つならば、このような行動の必要性を自然に感じることができるのではないでしょうか。一方で度々企業の採用ニーズに関するニュースやビジネス誌の記事を目にしながら、なんら関心を持たず、変化の当事者意識がゼロの学生は、大学3年生で就職活動を始めると自分が早くも時代遅れであり、企業の欲しがる人材から外れていることに唖然とすることになるのです。