2000年の新玉川線併合で
完成した田園都市線事業

 開業当初は新玉川線と田園都市線の直通運転は行われなかったが、1979年8月に全面的に直通を開始し、現在と同様の運行形態となった。同時に大井町~二子玉川園間は「大井町線」に戻り、二子玉川園~つきみ野間のみが「田園都市線」になった。

 その間、長津田~中央林間間の第2期工事は順調に進んでいた。1968年に長津田~つくし野間、1972年につくし野~すずかけ台間、1976年にすずかけ台~つきみ野間が開業。この頃の田園都市線は日中、大井町~梶が谷間が約7分間隔、梶が谷~長津田間が10分間隔、長津田から先は約20分間隔の運転で、車両は4両編成だったから隔世の感である。最終的に1984年4月9日のつきみ野~中央林間間開業をもって、全線が開業した。

 前述のように田園都市線は2000年に新玉川線を併合し、「玉川線」の名前は90年以上の歴史に幕を下ろした。この時に田園都市線事業は完成した、といえるのかもしれない。

 かつて田園都市線の一部だった大井町線は、今も縁の下で支えている。2008年に急行運転を開始すると、2009年に二子玉川から溝の口に延伸。1979年8月以降、大井町~二子玉川間の運転だった大井町線は、かつての終点、溝の口に舞い戻った。

 大井町線には首都圏有数の混雑路線、田園都市線のバイパスとしての役割が与えられ、一部列車が田園都市線に乗り入れを開始。混雑を避けて大井町経由の利用者が増加したため2018年、夕夜間に大井町駅を出発する急行列車に座席指定車両「Qシート」サービスが導入された。

 東急最大のプロジェクト多摩田園都市を作り上げた田園都市線は、大井町線、新玉川線と付いて離れての関係を築きつつ、首都圏を代表する通勤路線となった。大井町線の改良とコロナ禍で唯一にして最大の欠点だった激しい混雑も緩和され、今後は成熟の段階に突入する。多摩田園都市と田園都市線が迎える次の10年は、そのまま東急の未来を占う試金石となるのだろう。