1938年、「非常識で無礼な女」を批判する投書があった
「ママチャリの人」が大バズりした背景には、こういう日本社会のバイアスがあるのではないか。
なんてことを口走ってしまうと、「木下優樹菜や、ベビーカーのママや、ママチャリの人が叩かれているのは、人間として非常識だからであって女だからではないぞ!」とか「そうやって女だからというくくりで物事を見るのは女性蔑視だ!」という感じで、フェミニスト、ジェンダー平等界隈からきついお叱りを頂戴すると思うが、筆者がそのように感じてしまうのは「歴史の教訓」からだ。
「ギスギス社会」を考察していくにあたって、日本人の不寛容さは一体どこからくるのかとその源流をたどっていくと、明治・大正が終わったあたりの国家総動員体制が確立したような社会に突き当たる。
なぜかというと、ちょうどその時、令和日本のSNSとそう大差なく、「非常識で無礼な女」がさらし者にされ、叩かれていたからだ。
よく言われることだが、この時代の「ネット民」や「SNSユーザー」は、「投書階級」と呼ばれる人だ。新聞やラジオに反日的な音楽や言説が流れると、クレームを書き連ねてはがきを送る。新聞社や放送局の論調もかなり影響を受けたことが、研究者らの調査で明らかになっている。
そんな「怒りの投書」は、当時の「非常識で無礼な女」もぶった切った。日中戦争が始まった翌年、1938年の読売新聞の投書欄「読者眼」にはそのものズバリ、「無礼な女」というタイトルの投書が掲載されている。
投書の執筆者の職業は、自動車の運転手。戦死した兵士の遺骨を何十台もの霊柩車で隊列を組んで運ぶ機会が何度かあり、そこでは工事をしていた人も手を休めて帽子を脱いで頭を下げたり、自転車に乗っていた人も車が通る時は、自転車から下りて敬意を払ったりする姿をよく見かけたという。しかし、そういうことをしない「非常識で無礼な女」もいるとご立腹なのだ。
この時代、お国のために散った兵士に敬意を払うのは「日本人の常識」だ。それを守らない「無礼な女」は、新聞の投書でさらし者にされてもいたし方なしという、ギスギスした「空気」が、この時代の日本社会には確かにあった。
そして、そういう「ギスギス」は戦争の激化につれて高まって、ついには「非常識で無礼な女」をイジって憂さ晴らしするという今のSNSにも通じるムードが生まれていく。