元東北楽天ゴールデンイーグルス社長で、現在は宮城県塩釜市の廻鮮寿司「塩釜港」の社長と地方創生ファンド「PROSPER」の代表を務める立花陽三さんと、元プロ野球選手で現在は経営コンサルタントとして活躍されている高森勇旗さんの対談が実現した。立花さんのご著作『リーダーは偉くない。』(ダイヤモンド社)、高森さんのご著作『降伏論 「できない自分」を受け入れる』(日経BP社)を軸に、ビジネスからスポーツまで縦横に語り合っていただいた。今回のテーマは、「結果を出せない人」が「結果を出せる」ようになるための思考法。高森さんがプロ野球選手を6年で引退してから、セカンドキャリアで成功するまでのエピソードや、楽天野球団が観客動員数を劇的に増やしていく原点となった“苦いエピソード”などをもとに話は深まっていった。(構成:ダイヤモンド社 田中 泰)
「陽キャラきた!」という存在感
――立花さんは東北楽天ゴールデンイーグルスの元社長、高森さんは横浜ベイスターズ(現DeNA)の元選手ですから、おふたりは球団社長と選手という形で出会ったのでしょうか?
高森勇旗さん(以下、高森) いえ、僕が選手時代には全く接点はありませんでした。
立花陽三さん(以下、立花) そうですね。高森さんがプロ野球を引退したのはいつでしたっけ?
高森 2012年です。高卒で入団して6年目のときでした。
立花 僕が楽天野球団の社長になったのが2012年8月だから、ちょうど入れ替わったわけですね。
高森 そういうことになりますね。でも、引退後のことですが、僕の耳には立花さんの評判はがんがん伝わってきましたよ。「立花さんという、楽天野球団の社長はすごいやり手だ。いろんな改革を推し進めたし、日本一にもなった」と。だけど、そういう実績もすごいけど、それ以上に人柄というか、「とにかくすごい人だよ!」と熱く語ってくれる人が多かったですね。
立花 嬉しいけど、ちょっと気恥ずかしいな(笑)
高森 それで、僕はずっとお会いしたいと思ってたんですよ。そうしたら、立花さんと親しくされている阪神ファンの経営者の方に、「今度、一緒に楽天球場に阪神戦見にいこうよ」と誘っていただいたんです。それで、VIPルームに連れていっていただいて、そこで立花さんをご紹介いただいたのが最初ですね。
立花 そうなんですね……その記憶はなくしちゃってるな(笑)
高森 それはそうです。あのとき、立花さんは忙しくて、5分ほどしか部屋にいられなかったですからね。でも、そのときの印象は鮮烈でした。すごい笑顔で、後光がさすというか、
バーンと登場したという感じ。「陽キャラきた!!」という感じで、すごいオーラがありました。
立花 まぁ、球団経営は楽しかったですからね。
なぜ、アスリートのセカンドキャリアは難しいのか?
高森 だから、なんとかして立花さんとちゃんとお話ができるチャンスをつくりたくて、僕の一歳下で巨人の投手だった柴田章吾さんに、立花さんを紹介してほしいとリクエストしたんです。彼は、いま東南アジアで野球の普及活動を本格的にやっていて、立花さんのサポートを受けているからです。それで、カフェでお話しをするチャンスをいただいたんです。
立花 そうでしたね。このときの高森さんとの出会いは、僕にとって衝撃的なものだったんですよ。
高森 え、どうしてですか?
立花 僕はプロ野球界ではいろいろな人を知っていますが、プロ野球選手を引退したのち、ビジネスで活躍している人はそれほど多くはありません。セカンドキャリアというのは、本当に難しいんです。
ところが、高森さんは、いろいろな会社の経営幹部のコーチングとコンサルティングで大成功をおさめていらっしゃる。それが、大げさではなく、衝撃でしたね。ご著書である『降伏論』にも、そのあたりの話が書かれていて、とても興味深く読ませていただきました。あの本にはキャリアチェンジを成功させるためのポイントがいくつも書いてあって、どれも説得力があると感じました。
高森 ありがとうございます。キャリアチェンジで重要なポイントはいくつかあるんですが、最も重要なのは、前職(僕の場合はプロ野球選手)に未練を残さないことだと思っています。
そのためには、燃え尽きるまでやり切ることが大事。「もうちょっとできたかもしれない」とか「もっとよい指導者に恵まれたら……」とか思っているくらいだったら、下部組織に流れても、とにかくやり切ることが大事だというのが僕の持論です。
立花 なるほど。僕もいろんな選手を見てきたから思うんだけど、「未練を残さない」と言葉で言うのは簡単だけど、当事者にとっては本当に難しいことですよね。
高森 そうなんです。僕自身、人生であれほど頑張ったことはないと思えるくらい、千切れるほど野球に打ち込みましたが、プロ野球への未練を断ち切ることができたのは、引退してしばらく経ってからのことでした。
「俺も頑張れば、できる」という幻想から抜け出す
立花 どうやって断ち切ったんですか?
高森 「俺も頑張れば、できる」という幻想から脱出したんですが、これには、正直なところ勇気が必要でした。
なぜなら、プロ野球選手時代の6年間、僕は「俺は、こんなもんじゃない」と思い続けて、血のにじむような努力をして、千切れるくらい一生懸命やってきたからです。それだけに、「最高年棒580万円、一軍での通算安打1本」という現実を受け入れるのは簡単ではありませんでした。
実際、僕は選手時代に、目の前でプレーしている1億円プレイヤーと、580万円プレイヤーの自分に、本当に20倍もの差があるとは思えませんでした。自分と、この人には少しの差しかない。キッカケさえ掴むことができれば、自分だってああなれるに決まっている。つまり、「20倍の差がある」という現実は横に置き、“僕の世界”では、スーパープレイヤーたちと自分は同格に扱われていたんです。要するに、僕は幻想を生きていたんです。
立花 なるほど……。たしかに、その幻想から抜け出すのは簡単ではないでしょうね。
高森 はい、難しいと思います。そのためには、「俺も頑張れば、できる」というプライドを捨てる必要があるというか、「やればできる自分」を諦めなければならないからです。
だから、「俺は必死で頑張っても、できなかったんだ」ということを素直に受け入れられず、ほとんど自動的に「でも」と言い訳を始めてしまうんです。「たしかに、俺はできなかった。でも、もっとよい指導者に恵まれれば……」とかなんとか、言い訳なんていくらでもできますからね。
だけど、あるとき気づいたんです。この「でも」という言葉にすがって、幻想を生きてきたからこそ、僕は「580万円の人間」だったんだと。「でも」をやめて、「最高年棒580万円で、通算安打1本だった自分」を受け入れなければ、自分にとって明日はないと。
そして、そう思えたのは、とにかく野球をやり切ったからだと思います。「俺も頑張れば、できる」と思って必死で頑張っていましたが、やり切ったからこそ「これだけやってダメだったんだから」と、あるときスパッと諦めもついたんだと思うんです。
立花 なるほど。「やればできる自分」という幻想から抜け出して、「現実」を受け入れたことが、高森さんの現在の成功の原点ということですね……。だから、書籍に『降伏論 「できない自分」を受け入れる』と名付けたんですね。
高森 はいこれは、あらゆることに当てはまるんじゃないでしょうか。
今はありがたいことに、いろいろな企業の経営幹部のみなさまのコーチングをさせていただいているのですが、どんなにうまくいかずに悩んでいる方でも、自分が直面している「現実」を素直に受け入れることができたら、問題解決ははやいと実感しています。
逆にお伺いしたいのですが、立花さんのご著書である『リーダーは偉くない。』を読んで思ったんですが、立花さんの経営スタイルの根幹にも「現実と向き合う」という意思がおありではないでしょうか?
立花 もちろん、それは基本中の基本ですよね。