自分だけの趣味と
一人遊びの重要性

 自分で自分を楽しませる。配偶者がいようがいまいが、これが生きていく基本だと私は思っている。

 そのためには一人遊びに慣れること。一人でできる趣味を持つことも大切である。趣味に良し悪しはないが、一人で楽しめるものは、他人に左右されず、一生楽しめる。

 たとえば絵を描く、文章を書く、歌を歌うなどの趣味は、思う存分、自分勝手の境地に遊ぶことができる。

 一人遊びが好きな私にとって、我慢ならないのは、皆で一緒に何かをさせようとする光景だ。テレビなどで見る高齢者施設の娯楽風景のことである。

 何十人もの入居者が集められて、同じ遊戯をさせられたり、折り紙や習字などをさせられている。一人ひとりの趣味・趣向は違うはずなのに、施設にとっては集団行動させるのが効率的なのだろう。安全面からも利点があるのだろう。

 だが、老人だからというだけで、つまり年齢という条件によって、誰もかれもが一括りにされることに、私は耐えられない。

 仮に認知症になっていても、人間は個として尊重されるべきである。それができないのは、個々の施設やスタッフの問題というより、日本のありようの問題のように感じられる。

 高齢者が生きにくい世の中になりつつあることに怒りを感じ、以前『老人をなめるな』という本を書いた。いまは若い人が少ないからと若い人ばかりを大切にし、高齢者を蔑ろにする社会は世代間の分断を加速させ、結局のところ、若い人も生きづらくなる。

 そもそも私は年齢は自分で決めるものだと思っている。

 加齢による肉体的変化は受け入れなければならない。だからといって、 70代や80代が年寄りと誰が決めたのか。外部が決める物理的な年齢に囚われて、自分で自分を年寄りにしてしまってはいけない。年齢で自分の可能性を狭めてはいけないのだ。

 いずれにしろ、高齢者施設に入っても入らなくても、死ぬまで一人で楽しめる何かを持っていたほうがいい。そのためにはいくつになっても新しいことを始めようという好奇心を持ち、感性を磨き続けたい。

 どんな状況でも自分で自分を楽しませられる人は強いのだから。