また、才能教育というと個人が過度に強調される場合がありますが、例えば国際水準の研究成果も現在は共同研究により生み出されることが多く、学際的な多様な才能が組み合わさることがブレイクスルーにつながることが注目されています。

 例えば、単純な課題は苦手だが複雑で高度な活動が得意な児童生徒や、対人関係は上手ではないが想像力が豊かな児童生徒、読み書きに困難を抱えているが芸術的な表現が得意な児童生徒など、多様な特徴のある児童生徒が一定割合存在します。学校内外において、このような児童生徒を含め、あらゆる他者を価値のある存在として尊重する環境を築くことが重要です。

 これを読んでみると、ギフテッド支援とは、単に類稀なる才能を持つ子供を見つけて早いうちから投資しようというわけではないことがわかります。

頭がよくても幸福とは限らない
ギフテッドの生きづらさ

「特異な才能と学習困難とを併せ持つ児童生徒」は一般的に、“2E(Twice-Exceptional)”と言われており、「二重に特別」という意味があります。ギフテッドと言うと、完全無欠なスーパーマンのようで、人生をおくるのがイージーなのかと思いきや、実は生きづらさに苦しんでいると言うのです。

 ギフテッドな人たちが抱える問題の一つとして、他人とのコミュニケーションや社会適応が挙げられます。彼らは、自分の考えや知識が他人と大きく異なることから、孤立感や理解されないという感覚を抱くことがあります。

 また、自分に対する期待やプレッシャーが高く、ストレスを感じることが多いとも言います。高い自己要求を持ち、過剰な自己評価や自己批判を行うことも少なくありません。

 また、彼らの高い感受性や感情の豊かさが、人間関係のあつれきを生み、生きづらさの原因になることもあります。さらには、好奇心や興味が広範囲にわたるため一つのことに集中することが難しく、多動性や注意散漫が見られることがあります。

 結果として、せっかくのギフトを与えられたにもかかわらず、自分の才能や知性を十分に発揮できないこともあるのです。どんなに頭が良くても社会とあつれきを生んでしまっては、幸福というわけにはいかないのです。

 ギフテッドだからと言って特別扱いしてもいいわけではありませんが、彼らのような才能を最大限に活かす社会の枠組みが整っていないとも言えます。人間は一人ひとりがそれぞれ尊い存在であり、誰もが自分らしく生きる権利があります。