頑張るとはその字のごとく、何かを張る、ストレッチさせるイメージである。それに近い概念を挙げると「stress」(ストレス)である。

 例えば輪ゴムを引っ張り、刺激を与える。このとき、輪ゴムの弾力の限度を超えようとする動きがストレスである。程よい加減のストレスが心身の健康に好影響を与えることは研究でも立証されている。輪ゴムに働く力が輪ゴムの弾力の範囲内であれば、繰り返し伸縮させてもちぎれない。しかし、弾力を超えるストレスを与えて無理やり伸ばそうとすると、元々の限度を超え、輪ゴムはちぎれてしまう。おわかりの通り輪ゴム=人間、伸ばそうとする力=頑張る力の比喩になる(図参照)。

イタリア人が「幸運を」と言われたら「くたばれ!」と返すワケ人間にストレス(刺激)がかかるとき、己の弾性力領域(心の器)の範囲内で頑張るのは適切だが、努力が弾性力を超えると心の健康を蝕む可能性がある(同書より転載)。 拡大画像表示

 頑張る力は自分の限界を超えようとする、意志を貫き通そうとする、すさまじい力である。ただ、己の弾力を知らないまま輪ゴムを伸ばそうとすると、ちぎれてしまう。自分という輪ゴムの弾性の領域を知ることは人生の大きな課題となる。能力平等感をベースにした社会は、誰しも同じ伸縮性を備えていることが前提になるから危険なのだ。

 とはいえ、才能があれば努力しなくても成功できるという考え方も短絡的だ。生まれつきの能力、育った環境、モチベーション、健康状態、置かれた状況などによる自身の伸び幅を認識したうえで、できる範囲で「頑張る」。そうすれば精神に過剰な負荷をかけずに済む。

「ここまではやれるけど、これ以上は頑張れない」と自分に言い聞かせられることは、極めて建設的だと思う。

「辛抱」と「我慢」は
一見似ているが大違い

「頑張る」とも関係する、特徴的な日本語に「我慢」がある。この言葉もまた、能力平等感や努力至上主義を背景とした日本特有の考え方といえるだろう。

 我慢に近い英語は「patience」だが、これはどちらかというと「辛抱」のニュアンスに近い。楽しいことを先延ばしにして、しばらく苦悩に耐えるような意味合いだ。一方、我慢とは超自我を優位にして自我の欲求を抑圧し、個人的な欲求を社会のために犠牲にするようなニュアンスがある。