その後、腎機能は緩やかに下降し、移植の話もほぼ出なかった。腎機能は15%を切ったのに、むくみが全くなく、体重も63キロ前後で安定していた。

「心臓や肺もきれいです。努力していますね。いい状態です」。大塚医師の説明に、少しだけ前途を期待した。しかし、甘かった。11月9日、診察に妻も一緒に来るよう言われたので、察しはついた。

「腎移植外来の予約、取っていいですか?」

 大塚医師の話は、予想していた透析の開始ではなかった。あっけにとられる私を置いて、今度は妻に説明した。「人工透析を経ない『先行的腎移植』があります。ドナー(臓器提供者)になれる方が見つかれば、受けられます」

「私、ドナーになるつもりがあります」

 妻の言葉に血の気が引いた。そう言わせないため、妻には腎移植の話を一切していなかったのに……。私は慌てて「献腎を、献腎移植を希望します」と言い、勧められた聖マリアンナ医科大学病院(神奈川県川崎市宮前区)の腎移植外来に行くことを決めた。

 帰りの車中、妻に言った。「あなたから腎臓をもらうつもりは一切ない」。フィットネス教室のインストラクターに情熱を傾ける妻の人生を、これ以上邪魔したくなかった。

 ややあって、妻は静かに、だが断固として言った。

「移植は娘のためよ。あなたのためじゃない」

 返す言葉も、立場もなかった。

 腎移植外来受診まで2週間。私に残された腎機能は11%になっていた。

末期腎不全による全身のかゆみ
これ以上、心配をかけたくない

 私のマイカーでの指定席は助手席だ。

 2018年11月22日、この日も妻にハンドルを委ねて30分ほど走っただろうか。小高い丘に、白く大きな建物が見えた。聖マリアンナ医科大学病院だ。紹介状を手に、症例数が例年15件ほどの腎移植外来に向かった。

 車を降りると、全身のかゆみが猛烈に襲ってきた。腎機能が15%を切ると「末期腎不全」と呼ばれ、人によっては強いかゆみが出現する。ひとしきり体中をひっかき、背中や腕などあちらこちらがミミズ腫れで真っ赤になった。妻は「しんどいね」と目を潤ませる。毎日のように家でその姿を見る妻と娘のつらさを思い、やりきれなくなった。私は病院正面玄関のマリア像に祈る。「これ以上、心配をかけませんように」