倉岡一樹 著
体から腎臓を一つ取るのだから健康体でも負担は大きい。腎臓が一つになると、腎機能は6~7割程度に落ちるという。ただ、60代後半の母の方が、40代前半の妻より人生が短いと想定される。術後のドナーの人生を考えると母の方が“適役”ということだった。
「お嬢さんもいらっしゃいますし、お母様にお願いしていただけないでしょうか?」
話の展開についていけず、ぼうぜんとしたまま、病院を後にした。
帰りの車で、押し黙ったままの私に妻が言った。「明日は休みだし、お母さんに聞きに行こう。私も行く。もしだめだったら、私があげるよ」
首を縦に振れず、その日は一睡もできなかった。
「あげるわよ、腎臓」
ドナー候補に手を挙げた母
翌23日は勤労感謝の日で祝日。いったん会社で残務を片付け、京浜急行の快特電車で神奈川県横須賀市の実家に向かった。実家に着けば、母と向き合わなければならない。そこから逃げたい一心で、何度も普通電車に乗り換えようとした。1時間後、恐る恐る実家のドアを開けると、母と先に到着していた妻と娘が出迎えてくれた。
「体は大丈夫なの?」
「うん、きついね」
当たり障りのないやりとりが続く。肝心の話を切り出せないでいると、母がしびれを切らしたように突然言った。
「あげるわよ。腎臓。なんでもっと早くに言わなかったの。あなたは奥さんと娘のために生きなきゃだめでしょ。腎臓なんて2つあるんだから、1個なくなったって平気よ!」
あっけにとられていると、畳みかけられた。
「申し訳ないとか思ったらだめ。私はあなたの母親なんだから」
私が母に言い出せないであろうことを予想して、妻が病院での話を伝えていた。
母は自他共に認める“天然”で、いつも一時の感情だけで動く。「本当にいいの?」。しつこく繰り返すと、怒り始めた。
「うるさいわねえ。あげるって言ったでしょ!」
その夜は実家に泊まったが、またも眠れなかった。申し訳なさと困惑が頭の中で渦巻き、目はさえているのに何も考えられない。
週が明けた月曜日、寺下医師に電話すると、「よかったです。ご一緒に受診していただくことはできますか」と明るい声で言われた。
でも、本当に高齢の母は大丈夫なのだろうか。こんな親不孝をしていいのか。
迷いながらも、移植へのレールは、もう敷かれ始めていた。