高校通算は52本塁打。清宮幸太郎君(東京・早稲田実→日本ハム)の111本に比べたら少ないけど、打席数の半分ぐらいが四球だった。
ムネは、ちゃんと我慢ができる生徒だった。もちろん、ボール球に手を出したら、私に怒られるしね。バットを置いて、悠然と一塁に向かっていた。
ただ、高校最後の夏は苦しんでいた。熊本大会の2回戦は、下級生の本塁打でやっとこさ勝ったの。ムネが下を向いているから、「なにやってんだ」と怒ったんだ。そしたら、「やろうと思っているのに、できないんですよ」と言い返してきた。そういう熱いところがあるのよ。人一倍、責任感が強いからね。
学校のグラウンドに戻ると、「イライラして、すみませんでした」と言いにきた。
「なんで1人で悩むんだ。主将で捕手もして、全部お前がやらなくてもいいだろう。四球で出たら、盗塁して二塁打にすればいい。塁に出るのはいいことじゃないか」
そう話したあと、おまじないをかけた。
「よし、先生がいいことを教えてやるぞ。寝るとき、お前がお世話になっているのは何だ?ベッドと布団だろ。『よろしくお願いします』と言ってから、今日は布団に入りなさい。そして、『明日はもっと強い男になるぞ』と思いながら寝るんだ。できるか?」
本当にやったかどうかは聞いていないが、2日後の3回戦は一回に先制二塁打を打った。さらに準々決勝では右中間席中段に飛び込む本塁打を打ち、ベンチの私に向かってガッツポーズをしてきたよ。
決勝戦敗退で甲子園の夢が途絶え
村上は号泣して監督にこう言った
決勝で敗れて甲子園の夢がついえた日のことも、鮮明に覚えている。試合終了後、ベンチ裏に行っていたようで、しばらく姿が見えなかった。
「どこ行っとったんや。泣いとったんか」
「泣いてません!」
「最後までキャプテンをやれ!」
たぶん、悔しい思いを整理してきたんだろう。分かっていたが、あえて厳しく接した。
そのあとのムネは、立派だった。下級生が多いチームだった。後輩たちが泣いているので、ムネはこう言ったんだ。