美食=高級とは限らない。料理の背後にある歴史や文化、シェフのクリエイティビティを理解することで、食事はより美味しくなる! コスパや評判にとらわれることなく、料理といかに向き合うべきか? 本能的な「うまい」だけでいいのか? 人生をより豊かにする知的体験=美食と再定義する前代未聞の書籍『美食の教養』が刊行される。イェール大を経て、世界127カ国・地域を食べ歩く美食家の著者の思考と哲学が、食べ手、作り手の価値観を一新させる1冊だ。本稿では、同書の一部を特別に掲載する。
贅沢だけが美食ではない
美食という言葉だけを捉えると、贅沢なもの、というイメージにどうしてもなってしまう。また、「美」とついていると、「美しい」という価値観が含まれてしまうので、そこに抵抗を感じる人もいるかもしれません。
その意味では、僕が伝えたいことを正確に表現するなら、「ガストロノミー(Gastronomy)」といい換えてもよいかと思います。
Wikipediaによると、ガストロノミーとは「食事と文化の関係を考察することをいう。料理を中心として、様々な文化的要素で構成される。すなわち、食や食文化に関する総合的学問体系」。ガストロノミーには「美」という意味合いはなく、ニュートラルな言葉なのです。
僕にとっては、この文化の要素が含まれる「美食」がものすごく大事です。文化的に食べる。「うまい」だけではない「美味しい」を探求する。これが美食の再定義です。
僕は、単にものを食べるのではなく、ものの背景にある歴史だったり、文化だったり、そういうものを感じながらいただきたいと思っています。
大げさにいえば、食の文化人類学。つまり、食べるという行為を通じてさまざまな社会や文化について理解を深め、知的好奇心を満たす、ということです。
「文化的に食べる」ということ
口に入れ、消化し、体を動かすエネルギーに変わる、だけだと、僕自身は食べることの意味をあまり感じられません。生きていくという意味では大事なことですし、健康を害してしまったら元も子もありませんが、それでもどうせ食べるなら、ただ口に入れるだけにはしたくない。生きていくための食事と、文化としての食事は別に語られるべきと思います。
もとより人間は、肉体的だけではなく、精神的にも健康に生き続けるために、文化を必要としています。文化的に生きてこそ、人間だと僕は思うのです。
美味しいものを食べるという喜びがあることは、人生を豊かにする。しかし、だからといって、ただ単に美味しいと評判の店に行けばいいということにはならない。
美味しさがゴールではなく、どう美味しくしているのか、なぜその地で食べるのか、どんな歴史的な背景があるのか、どんなストーリーがつむがれているのか……。そういうものをちゃんと含めて楽しむことが、文化的に食べるということだと思うのです。
そしてそれこそが、「ガストロノミー=美食」が重要な理由になるのだと思います。
(本稿は書籍『美食の教養 世界一の美食家が知っていること』より一部を抜粋・編集したものです)
1974年兵庫県宝塚市生まれ。米国・イェール大学卒業(政治学専攻)。大学在学中、学生寮のまずい食事から逃れるため、ニューヨークを中心に食べ歩きを開始。卒業後、本格的に美食を追求するためフランス・パリに留学。南極から北朝鮮まで、世界約127カ国・地域を踏破。一年の5カ月を海外、3カ月を東京、4カ月を地方で食べ歩く。2017年度「世界のベストレストラン50」全50軒を踏破。「OAD世界のトップレストラン(OAD Top Restaurants)」のレビュアーランキングでは2018年度から6年連続第1位にランクイン。国内のみならず、世界のさまざまなジャンルのトップシェフと交流を持ち、インターネットや雑誌など国内外のメディアで食や旅に関する情報を発信中。株式会社アクセス・オール・エリアの代表としては、エンターテインメントや食の領域で数社のアドバイザーを務めつつ、食関連スタートアップへの出資も行っている。