老後「後悔ばかりする人」「人生を楽しむ人」の決定的な違いとは?
42歳でパーキンソン病に侵された精神科医のエッセイが、韓国で売れに売れている。『もし私が人生をやり直せたら』という本だ。「自分をもっと褒めてあげようと思った」「人生に疲れ、温かいアドバイスが欲しいときに読みたい」「限られた時間を、もっと大切にしたい」と共感・絶賛の声が相次ぎ、35万部以上売れているという。
そんなベストセラーエッセイの邦訳が、ついに刊行される。男女問わず、多くの人から共感・絶賛を集める本書の内容とは、いったいどのようなものなのか? 本書の日本語版から抜粋する形で、「人生の限りある時間」の過ごし方について書かれた項目を紹介していく。

老後「後悔ばかりする人」「人生を楽しむ人」の決定的な違いPhoto: Adobe Stock

「人生こんなはずじゃなかった」という後悔を消すには?

 50歳を過ぎた頃から、自分がお婆さんになった姿を想像するようになりました。

 その当時の理想では、好奇心を忘れずわずかなことにも感動できるお婆さんになりたいと思っていました。もっと言えば、世の理不尽も笑い飛ばせるような余裕と包容力まで兼ね備えた、温かく愉快なお婆さん。孫たちが悩んでいる時にはよき相談相手となってあげられる、そんなお婆さん像を思い描いていました。

 実際に孫ができて本物のお婆さんになってみると、50代の頃に思い描いていたお婆さん像はあまりにも完璧すぎたと痛感しています。

 私は孫たちのお婆さんとしては、まだまだ未熟です。

 遊びに来た孫たちが帰る時には寂しくてたまらないし、その気持ちを隠すことができません。結婚した娘にも、なぜもっと顔を見せに来ないのかと愚痴をこぼす始末。

 何よりも、孫たちの成長をいつまでも見届けたいのに、それは叶わぬ夢だと思うたびに胸が詰まります。私にとっては家族と一緒にいられる時間の1分1秒がとても貴重なのに、そんな私の心情など知る由もない娘や孫たちにもがっかりしたり。こうした感情を抱いている自分に気づくたびに、ああ、私はまだまだだなと思うのです。いつになったら、包容力あふれる愉快なお婆さんになれるのでしょう。

老いを恐れず、前向きに生きる

 それでもありがたいことに、私にはまだ残された時間があります。つまり、まだまだ努力ができるということです。だから私は今でも未来に、これから過ごす時間に期待して止みません。

 老い方に正解はありません。ある人は静かな老年期となり、またある人はバイタリティあふれる活動的な老年期を送るかもしれません。

 いずれにせよ、自分が満足できるように過ごすのが最善の生き方です。42歳でパーキンソン病と診断され、65歳を過ぎた今、私が言いたいことは「老いることを恐れず、楽しんで」。このひと言に尽きます。

(本原稿は『もし私が人生をやり直せたら』から一部抜粋、追加編集したものです)