批判を招いた4つの理由
重要視される「子どもの意思決定」

 批判の声を分析してみると、批判のポイントはおおむね以下の点に分けられる。

(1)「パパのお嫁さんになりたい」は子どもの希望なのかどうかわかりづらい。

(2)ウェディングドレスを着てパパと写真を撮りたいのは、父親の願望なのか、子どもの願望なのか(父親の願望であれば、それに子どもを付き合わせるのはいかがなものか)。

(3)母の日に「ママのお婿さんになりたい!」企画があるのかという疑問。

(4)直接的に言及しづらいものの、近親姦(性虐待)を連想させる。

(1)については、すでに書いたように、子どもの「願望」を編集部が勝手に推測して書いていないかという批判である。昔のように、幼い娘の「パパのお嫁さんに」発言を微笑ましいものとして安易に乗っかるには、世間の目が厳しい時代になったということなのだろう。

(2)については、父の日に記念撮影を行うことに異論を唱える人はまずいないだろう。しかしそれが、なぜ「父と娘」限定の企画なのか、さらになぜ娘がウェディングドレスなのか……となると疑問が生まれる。

 そもそも「女の子だからドレスを着たいはず」というジェンダーによる刷り込みについても、昨今は敏感に考える保護者が多い。フォトスタジオからすると、子ども用のドレスがあるからこれを使うことのできる企画を考えた、程度のことなのかもしれないが、企画のアウトプットだけを見ると、このような反応が出てきてしまう。

 また、ここ10年ほどでアップデートされつつあるのが「子どもの意思決定」への意識である。日本は「子どもは親が責任を持って管理するもの」とか「子どもは大人に比べて未熟な生き物だから躾が必要」といった考え方が強く、これが教育現場での体罰や行き過ぎた指導につながってきたとも言われる。

 その反省もあり、また子どもを支配下に置きたがる「毒親」への問題提起もあり、最近では幼子であっても「それは本当に子どもの意思なのか?」が重要視されがちである。

 子どもの顔をネット上に野放図にアップしてしまう親が批判されることがたびたびあり、これも「子どもの意思決定」問題だろう。