日本経済をめぐり
目立ちはじめた楽観論
今年3月4日の日経平均終値が4万109円23銭で終えて、史上初の4万円台に乗せた。日本経済をめぐってはここ20年以上悲観論ばかりが横行していたが、近年はようやく楽観論も目立ちはじめている。
4万円台は長続きせず、再び下落して現在は3万円台後半のレンジを推移しているものの、昨年1月の日経平均が2万7327円11銭だったことを考えれば、日本経済は大きく飛躍したと言っていいだろう。
だが、なぜ日本経済は立ち直り始めたのだろうか。これには人によっていくつもの回答がありうるが、私の考えは「地球規模で大きな変化が起こり、それが日本経済の恩恵になったから」というものだ。
日本経済が好調に推移しはじめた理由として、日本を取り巻く経済環境が大きく変わったことを以下に指摘していくが、その前に日本経済がなぜ停滞したかを考えてみたい。
グローバリズムの拡大と
アメリカによる日本離れ
日本経済が絶好調だった1980年代は、アメリカとソ連が対立する冷戦時代だった。
冷戦下のアメリカの最大の仮想敵はソ連であり、アメリカの現在のライバルである中国は、まだ経済規模は小さく、存在感は大きくはなかった。
また、経済環境も、現在のグローバル化が進んだ状況と比べると、国民経済の色が強かった。
日本企業は、1980年代後半に日米貿易摩擦が勃発するまで国内投資中心だったが、その点は基本的にアメリカ企業も同じだった。一部の多国籍企業を除き、膨大な知的財産を蓄えていたアメリカ企業においても、投資は国内が中心だったと言っていいだろう。
日米貿易摩擦が起こる前まで、アメリカは知的財産を日本に対してオープンだった。それは日本が東アジアにおける経済大国として君臨することが、ライバル国であるソ連をけん制する点で、アメリカのとっても都合が良かったからである。
ところが、1980年代後半、アメリカ経済が停滞する一方で、日本経済が圧倒的な強さを見せると、アメリカにとって、日本はソ連とは別の意味の脅威となる。
その後に起こる「ジャパン・バッシング(日本たたき)」の大きなきっかけとなったのが、1987年に明るみに出た東芝機械ココム違反事件であった。同事件は、「共産圏へ輸出された工作機械がソ連の潜水艦技術に寄与して米海軍に危険を与えた」として、日米間で深刻な問題となった。